2006.05.19 Friday
パッチギ!
念願の「パッチギ!」を観に行ってきた。
Moちゃんと、sabi&だいすの3人で。
もちろん、ロードショーはとっくの昔に終わっているこの映画。
今日は、映画センターという民間の団体による、自主上映である。
ちょうど、うちの最寄り駅のすぐそばにあるホールでの上映だったのと、
sabiの職場が大学祭で全学休講、という好条件が重なったので、
観に行くことができた。
sabiの知っていた事前情報は、
◆井筒監督の力作で、惜しくも「ALWAYS 三丁目の夕日」に敗れて、
日本アカデミー賞を逃した映画。
◆テーマ曲が「イムジン河」。これは映画そのもののテーマにもつながっている。
◆暴力シーンがめちゃめちゃ多い。1人死者が出るらしい。
◆上映時間は2時間程度(!?)。
というもの。
これだけである。
その他のことは、ストーリーもキャストも、何も知らない。
なにしろ自主上映だから、会場に行ったところでパンフレットも何もないのである。
こうしてわけのわからないままに、上映が始まった。
かなり評価の分かれる映画かもしれないが、
sabi的には、これはすごい映画を観てしまったなぁ、と思った。
宮崎アニメ以外の映画で、ここまで心が動いた映画は何年ぶりだろう。
ものすごく昂揚し、感動した。
それと同時に、あまりにも重たい問題提起に、
押しつぶされてしまいそうな思いにもなったのだが。
やっぱりsabiは、
“音楽を通して平和を訴えたい!”と、常に思っている人間だからだろうか。
公園での、康介とキョンジャのセッションのシーンや、
康介が愛用のギターを叩き壊して川に投げ捨てるシーン、
ラジオ番組で「イムジン河」を熱唱するシーンを見ていると、
どうにも泣けてきてしかたがなかった。
大学時代、sabiとだいすは学内の(元)うたごえサークルに所属していて、
「リムジンガン」(←「イムジン河」と同じだが微妙にちがう曲)も、
そこでよくうたっていた。
sabiはその曲の由来など全く知らなかったのだが、
だいすと、彼の親友(だとだいすは思っている)E先輩が、
「リムジンガン」の背景についてサークルのみんなに熱く語っていたのを、
今でもよく覚えている。
4年前、わが「みつばち合唱団(仮)」の創立50周年記念コンサートでも、
県下のうたごえサークルとの合同演奏曲として、「リムジンガン」をうたった。
あのときは、ハングルの歌詞を一生懸命(カタカナで)覚えてうたったのだが、
なにしろ一つひとつの単語を理解していたわけではないので、
もうすっかり忘れてしまった‥‥(^^ゞ
どうにも乗り越えられないほど根の深い、国境の壁。
sabi自身は、これまでの人生において、それを直接突きつけられたことはない。
しかし、それは現代の日本にも歴然として存在する、ということは知っている。
われわれは、いつかその壁を越えることができるのだろうか‥‥??
“パッチギ”とは、「頭突き」を意味するハングル語だが、
同時に、「突き破る、乗り越える」という意味も持っているらしい。
康介が、音楽を通して乗り越えたもの。
キョンジャの兄アンソンが、生命の誕生を通して乗り越えたもの。
また、これから乗り越えていくべきもの。
すぐれて象徴的なタイトルである。
(だが、エンディング曲が「あの素晴らしい愛をもう一度」というのは、
“結局最後は越えられなかった”という暗示なのか???)
しかし、確かに「頭突き」も多かった‥‥。
Moちゃんは暴力シーンが全く受けつけられない人で、
上映時間のうちの何割かは、スクリーンを見ることさえできなかった。
この前3人で一緒に観に行った映画、「ナルニア国物語」での戦闘シーン
(←それほど残虐っぽくはないと思う)でさえ、
ほとんど顔が上げられない状態だったMoちゃん。
彼女には、この映画は酷だったなぁ(>_<)
あ。 あと個人的には、
大友康平さんがめちゃめちゃカッコよかった!!
実はsabiは高校生の頃、ハウンド・ドッグのコンサートにもよく行ってたのである。
(その割には、レコードもCDも持っていないのだが。)
sabiの中では、最初のあたりで登場人物の整理がなかなかできなかったし、
まだいろいろと見落としていることもあるにちがいないので、
“近いうちにもう一度観たいなぁ!”と、見終わった直後に思った。
だいすといろいろ話し合ったりしながら、家でゆっくり見てみたい。
ただ、頭突きはもう見たくないのだが。
映画が終わって、この近所には遅くまであいてるお店がほとんどないので、
(←注:田舎なのではなく、住宅街だからである)
ちょっとだけ電車に乗って、食事に出かけることにした。
この前、「近いうちに行こう!」と心に誓った、
T屋という沖縄料理のお店に行った。
来ていたお客さんで、三線を弾きながら何人かでうたってる人たちがいた。
弾いている人は、どうやら三線教室に通い始めたばかりのようだ。
沖縄の人たちも、“ヤマトンチュ”であるわれわれに対して、
壁を感じているのかなぁ‥‥。
などと思いながらも、
たくさん食べて、たくさん呑んで、お店の人とも楽しく話をした。
Moちゃんと、sabi&だいすの3人で。
もちろん、ロードショーはとっくの昔に終わっているこの映画。
今日は、映画センターという民間の団体による、自主上映である。
ちょうど、うちの最寄り駅のすぐそばにあるホールでの上映だったのと、
sabiの職場が大学祭で全学休講、という好条件が重なったので、
観に行くことができた。
sabiの知っていた事前情報は、
◆井筒監督の力作で、惜しくも「ALWAYS 三丁目の夕日」に敗れて、
日本アカデミー賞を逃した映画。
◆テーマ曲が「イムジン河」。これは映画そのもののテーマにもつながっている。
◆暴力シーンがめちゃめちゃ多い。1人死者が出るらしい。
◆上映時間は2時間程度(!?)。
というもの。
これだけである。
その他のことは、ストーリーもキャストも、何も知らない。
なにしろ自主上映だから、会場に行ったところでパンフレットも何もないのである。
こうしてわけのわからないままに、上映が始まった。
かなり評価の分かれる映画かもしれないが、
sabi的には、これはすごい映画を観てしまったなぁ、と思った。
宮崎アニメ以外の映画で、ここまで心が動いた映画は何年ぶりだろう。
ものすごく昂揚し、感動した。
それと同時に、あまりにも重たい問題提起に、
押しつぶされてしまいそうな思いにもなったのだが。
やっぱりsabiは、
“音楽を通して平和を訴えたい!”と、常に思っている人間だからだろうか。
公園での、康介とキョンジャのセッションのシーンや、
康介が愛用のギターを叩き壊して川に投げ捨てるシーン、
ラジオ番組で「イムジン河」を熱唱するシーンを見ていると、
どうにも泣けてきてしかたがなかった。
大学時代、sabiとだいすは学内の(元)うたごえサークルに所属していて、
「リムジンガン」(←「イムジン河」と同じだが微妙にちがう曲)も、
そこでよくうたっていた。
sabiはその曲の由来など全く知らなかったのだが、
だいすと、彼の親友(だとだいすは思っている)E先輩が、
「リムジンガン」の背景についてサークルのみんなに熱く語っていたのを、
今でもよく覚えている。
4年前、わが「みつばち合唱団(仮)」の創立50周年記念コンサートでも、
県下のうたごえサークルとの合同演奏曲として、「リムジンガン」をうたった。
あのときは、ハングルの歌詞を一生懸命(カタカナで)覚えてうたったのだが、
なにしろ一つひとつの単語を理解していたわけではないので、
もうすっかり忘れてしまった‥‥(^^ゞ
どうにも乗り越えられないほど根の深い、国境の壁。
sabi自身は、これまでの人生において、それを直接突きつけられたことはない。
しかし、それは現代の日本にも歴然として存在する、ということは知っている。
われわれは、いつかその壁を越えることができるのだろうか‥‥??
“パッチギ”とは、「頭突き」を意味するハングル語だが、
同時に、「突き破る、乗り越える」という意味も持っているらしい。
康介が、音楽を通して乗り越えたもの。
キョンジャの兄アンソンが、生命の誕生を通して乗り越えたもの。
また、これから乗り越えていくべきもの。
すぐれて象徴的なタイトルである。
(だが、エンディング曲が「あの素晴らしい愛をもう一度」というのは、
“結局最後は越えられなかった”という暗示なのか???)
しかし、確かに「頭突き」も多かった‥‥。
Moちゃんは暴力シーンが全く受けつけられない人で、
上映時間のうちの何割かは、スクリーンを見ることさえできなかった。
この前3人で一緒に観に行った映画、「ナルニア国物語」での戦闘シーン
(←それほど残虐っぽくはないと思う)でさえ、
ほとんど顔が上げられない状態だったMoちゃん。
彼女には、この映画は酷だったなぁ(>_<)
あ。 あと個人的には、
大友康平さんがめちゃめちゃカッコよかった!!
実はsabiは高校生の頃、ハウンド・ドッグのコンサートにもよく行ってたのである。
(その割には、レコードもCDも持っていないのだが。)
sabiの中では、最初のあたりで登場人物の整理がなかなかできなかったし、
まだいろいろと見落としていることもあるにちがいないので、
“近いうちにもう一度観たいなぁ!”と、見終わった直後に思った。
だいすといろいろ話し合ったりしながら、家でゆっくり見てみたい。
ただ、頭突きはもう見たくないのだが。
映画が終わって、この近所には遅くまであいてるお店がほとんどないので、
(←注:田舎なのではなく、住宅街だからである)
ちょっとだけ電車に乗って、食事に出かけることにした。
この前、「近いうちに行こう!」と心に誓った、
T屋という沖縄料理のお店に行った。
来ていたお客さんで、三線を弾きながら何人かでうたってる人たちがいた。
弾いている人は、どうやら三線教室に通い始めたばかりのようだ。
沖縄の人たちも、“ヤマトンチュ”であるわれわれに対して、
壁を感じているのかなぁ‥‥。
などと思いながらも、
たくさん食べて、たくさん呑んで、お店の人とも楽しく話をした。