2008.07.12 Saturday
うたうときも葛藤中?
おそらくここ1年間ぐらいの時期に、新たに発生したと思われる、
sabiが歌をうたうときの悪いクセ。
うたっているときに、右手 (主として手首から先の部分) を動かして、
リズムをとるような動きをしてしまうのである。
どうやら、自分の中のリズムや拍が、右手の動きに出てしまっているらしい。
常時動いているというわけではなく、
特に、サビのあたりとか、曲が盛り上がっていくところなどで、
しばしばそのクセが現われる。
はっと気づいたときは止めるのだが、気がつくとまた動いてしまっている。
ひどいときには、スカートをぎゅっと握りしめて、無理やり止めることもある。
上級者の人ならともかくとして、一般的には、身体のパーツを不要に動かすと、
姿勢がくずれるし、発声につぎ込むべきエネルギーが分散してしまって、
ベストな声が出せないのだという。
動きによっては、ビジュアル的にも見苦しいし、はた迷惑にもなる。
特に合唱の場合、指揮者以外の人間がリズムをとるような動きを見せるのは、
御法度である。
これは、なんとしてでも直さなければならない。
合唱や声楽をするにあたって、
sabiは、自分の身体のムダな動きをなくすようにと、極力つとめてきた経緯がある。
しかし、身体のある部分の動きに注意を払うと、
その他の部分のことがおろそかになるというのが世の常であり、
sabiが注意を払うべき部分は、これまで次々と移り変わってきた。
合唱を本格的に始めたのは、もう、10年近く前のことになる。
ごく初期のころに、「ふだんの姿勢がよくなってきたね」 と言われたことは、
sabiとしてはかなりうれしい出来事で、いまでも記憶の中に鮮明に残っている。
そのころ新たに指摘されたのが、「顔の筋肉の動きが不自然」 という問題だった。
確かに、ステージ写真などで見ても、ものすごくヘンな顔をしている。
どうやら、鼻のわきの筋肉をつり上げようとしているらしいのだが、
明らかに不自然な表情だし、それで声がよくなっているようにも思えなかった。
その後、長い時間が流れ、いろいろな先生方から発声法を教わったり、
身体のあちこちの部分に注意を払ったりしているうちに、
なんだかよくわからないが、「顔の表情が自然になった」 と、言われるようになった。
それと同時に、上体にかかっていた不要な力も抜けてきて、
なかなかいい感じで、声が出せるようにもなってきた。
しかし、やっぱり、常にきちんとした姿勢を保っていることは難しく、
しばしば、上体が前後に揺れたり、身体の重心が定まらなかったりで、
発声が不安定になる、ということが起こる。
そして、身体をまっすぐに保とうと、注意を払えば払うほど、
冒頭で述べた最新のクセ(?)、「右手を動かす」 という現象が生じるのである。
たとえ、曲のリズムに乗っているとはいえ、
これは心理的には、いわゆる “貧乏ゆすり” に類するものかもしれないと、
sabiは思っている。
“貧乏ゆすり” は、
心理的葛藤などからくる不安や緊張の高まりを解消しようとして無意識的に行う、
ある種の防衛規制である、と言われている。
身体の一部を動かすという行動によって、人は無意識のうちに、
さまざまな葛藤から自分を解放し、心のバランスを保とうとしているのである。
合唱でうたっているときに、さほど緊張しているつもりはないのだが、
それでもやっぱり、ある程度の不安や緊張感がともなうことは否めない。
あるいは、身体を一定の状態で維持しようとすること自体が、
ストレスになっているのかもしれない。
あらためて、sabiはまだまだ未熟だなぁと、つくづく思う。
合唱以外でも、これと同じようなことは、
sabiが大学生のころ (その後も続いたが) 、すでに起こっていた。
人前で話をするときに、“右手で髪をかき上げる” という現象である。
それも、ものすごく頻繁に。
自分でも病的なものだとわかっていたので、
やめようという努力もしたし、だいすもいろいろと協力してくれたのだが、
いくらがんばっても、その当時は全く直らなかった。
おそらく、人前で話すという行為にともなうストレスは、
sabiにとっては、並たいていのものではなかったのだろう。
今日は、「労働者のうたごえ合唱団(仮)」 で演奏に出かけたのだが、
その本番の直前に、
sabiが右手を動かす件について、仲間から初めて指摘を受けた。
やはり、指揮者以外の人の動きが目に入るのは、演奏者としてはつらいのである。
sabiは、“これを機会に、絶対直す!” と心に誓い、仲間にもそう誓った。
もしかしたら、動かさないことに意識を向けすぎると、
うたうこと、演奏そのものへの集中を欠いてしまうかもしれない。
しかし、いまは、多少はそうなってもしかたがない。
いずれ必ず直さなければならないことであれば、早いほうがいい。
いま、無理やりにでも自分の最大の課題として掲げて、いつも忘れないでいよう。
そう決めてしまうと、なんとなく肝がすわってきた。
本番では、なんとか最後まで、右手の動きを抑えることができた。
指摘してもらったことに感謝。
これからも、こうしたいろんなことを積み重ねていって、
いつかは、
心身ともにすっかり解放されて、自由な状態でうたえるようになりたいなぁ。
sabiが歌をうたうときの悪いクセ。
うたっているときに、右手 (主として手首から先の部分) を動かして、
リズムをとるような動きをしてしまうのである。
どうやら、自分の中のリズムや拍が、右手の動きに出てしまっているらしい。
常時動いているというわけではなく、
特に、サビのあたりとか、曲が盛り上がっていくところなどで、
しばしばそのクセが現われる。
はっと気づいたときは止めるのだが、気がつくとまた動いてしまっている。
ひどいときには、スカートをぎゅっと握りしめて、無理やり止めることもある。
上級者の人ならともかくとして、一般的には、身体のパーツを不要に動かすと、
姿勢がくずれるし、発声につぎ込むべきエネルギーが分散してしまって、
ベストな声が出せないのだという。
動きによっては、ビジュアル的にも見苦しいし、はた迷惑にもなる。
特に合唱の場合、指揮者以外の人間がリズムをとるような動きを見せるのは、
御法度である。
これは、なんとしてでも直さなければならない。
合唱や声楽をするにあたって、
sabiは、自分の身体のムダな動きをなくすようにと、極力つとめてきた経緯がある。
しかし、身体のある部分の動きに注意を払うと、
その他の部分のことがおろそかになるというのが世の常であり、
sabiが注意を払うべき部分は、これまで次々と移り変わってきた。
合唱を本格的に始めたのは、もう、10年近く前のことになる。
ごく初期のころに、「ふだんの姿勢がよくなってきたね」 と言われたことは、
sabiとしてはかなりうれしい出来事で、いまでも記憶の中に鮮明に残っている。
そのころ新たに指摘されたのが、「顔の筋肉の動きが不自然」 という問題だった。
確かに、ステージ写真などで見ても、ものすごくヘンな顔をしている。
どうやら、鼻のわきの筋肉をつり上げようとしているらしいのだが、
明らかに不自然な表情だし、それで声がよくなっているようにも思えなかった。
その後、長い時間が流れ、いろいろな先生方から発声法を教わったり、
身体のあちこちの部分に注意を払ったりしているうちに、
なんだかよくわからないが、「顔の表情が自然になった」 と、言われるようになった。
それと同時に、上体にかかっていた不要な力も抜けてきて、
なかなかいい感じで、声が出せるようにもなってきた。
しかし、やっぱり、常にきちんとした姿勢を保っていることは難しく、
しばしば、上体が前後に揺れたり、身体の重心が定まらなかったりで、
発声が不安定になる、ということが起こる。
そして、身体をまっすぐに保とうと、注意を払えば払うほど、
冒頭で述べた最新のクセ(?)、「右手を動かす」 という現象が生じるのである。
たとえ、曲のリズムに乗っているとはいえ、
これは心理的には、いわゆる “貧乏ゆすり” に類するものかもしれないと、
sabiは思っている。
“貧乏ゆすり” は、
心理的葛藤などからくる不安や緊張の高まりを解消しようとして無意識的に行う、
ある種の防衛規制である、と言われている。
身体の一部を動かすという行動によって、人は無意識のうちに、
さまざまな葛藤から自分を解放し、心のバランスを保とうとしているのである。
合唱でうたっているときに、さほど緊張しているつもりはないのだが、
それでもやっぱり、ある程度の不安や緊張感がともなうことは否めない。
あるいは、身体を一定の状態で維持しようとすること自体が、
ストレスになっているのかもしれない。
あらためて、sabiはまだまだ未熟だなぁと、つくづく思う。
合唱以外でも、これと同じようなことは、
sabiが大学生のころ (その後も続いたが) 、すでに起こっていた。
人前で話をするときに、“右手で髪をかき上げる” という現象である。
それも、ものすごく頻繁に。
自分でも病的なものだとわかっていたので、
やめようという努力もしたし、だいすもいろいろと協力してくれたのだが、
いくらがんばっても、その当時は全く直らなかった。
おそらく、人前で話すという行為にともなうストレスは、
sabiにとっては、並たいていのものではなかったのだろう。
今日は、「労働者のうたごえ合唱団(仮)」 で演奏に出かけたのだが、
その本番の直前に、
sabiが右手を動かす件について、仲間から初めて指摘を受けた。
やはり、指揮者以外の人の動きが目に入るのは、演奏者としてはつらいのである。
sabiは、“これを機会に、絶対直す!” と心に誓い、仲間にもそう誓った。
もしかしたら、動かさないことに意識を向けすぎると、
うたうこと、演奏そのものへの集中を欠いてしまうかもしれない。
しかし、いまは、多少はそうなってもしかたがない。
いずれ必ず直さなければならないことであれば、早いほうがいい。
いま、無理やりにでも自分の最大の課題として掲げて、いつも忘れないでいよう。
そう決めてしまうと、なんとなく肝がすわってきた。
本番では、なんとか最後まで、右手の動きを抑えることができた。
指摘してもらったことに感謝。
これからも、こうしたいろんなことを積み重ねていって、
いつかは、
心身ともにすっかり解放されて、自由な状態でうたえるようになりたいなぁ。
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