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広島へ帰省
お昼過ぎまで寝逃げ。
いくらでも寝られる感じがした。
とにかくしんどくてしんどくて、起きられなかったし、起きたくなかった。

sabiは、ホントは広島へ帰りたくないのか?
そういうわけではないだろうが、
少なくとも、ふだんと違うことをするのが億劫だったことは事実である。

広島へ帰るのは、もうあきらめようかと思ったが(そもそも昨夜帰る予定だった)、
だいすに促されて、ようやく重い腰を上げた。

なんとか帰れた。
夜の、めっちゃ遅々の時間になってしまったけれど。

寝る前に、お仏壇の世話だけしたら、ちょっと気持ちが落ちついた。

それだけで精いっぱいだった一日。


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| 広島(故郷・実家・追憶) | 23:37 | comments(9) | trackbacks(0) |
広島滞在中の数日をまとめて
広島にいる間、ブログの更新ができなかったので、
8月初旬の、日記代わりのメモをそのまま載せてしまおう。
一部適当に加工はしてあるが、ほぼ「そのまま」である(^^ゞ

----------------------------------------
8/1火  だいす:労組バイト→地域の会議
8/2水  sabi:心療内科(処方のみ)/だいす:祭典事務所の電話回線をつなぐ
       →sabi&だいす、広島へ帰る
8/3木  フジグランナタリー
       サティ
       カルビ大陸(焼肉っ♪)
8/4金  お供え物の買い出し(←だいすに行ってもらう)
       原水禁世界大会へ(受付のみ済ませる)
       おそ松
       一富士(原水禁大会に参加するうたごえの人たちと合流して)
8/5土  sabi姉一家&母、13:00過ぎに来る
       一周忌とお盆の法要(@sabiの実家)14:00〜
       sabi姉一家&母のみ:CANADACAN
       全員:いな忠
8/6日  演奏@原水禁世界大会(閉会式にて)
       パチンコ@GEOGEO(?)
       おそ松(大学時代のサークル仲間4人+sabi&だいす)
       ※「みつばち合唱団(仮)」演奏@R寺(←もちろん欠席(^^; )
8/7月  宮浜グランドホテル(だいすと一泊♪)
8/8火  パチンコ@Marina Proba(フジ近辺)
       フジのラーメン屋さん(夜)
8/9水  広島を離れ、帰宅(夜)
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| 広島(故郷・実家・追憶) | 20:37 | comments(80) | - |
「宮島」って???
さっきテレビで、ちちんぷいぷいのお料理コーナーを見ていたら、
高橋泰松先生(←ちょっとファンかも)が、フライパンに食材を入れたときに、

「これを、 宮島 を使って混ぜます」

と言って、ごく普通の木のへらを取り出して、混ぜ合わせていた。

‥‥‥‥「宮島」???
宮島って、広島にある、あの「宮島」のこと!??

スタジオにいた、ハイヒールのお二人や、その他のゲストの人たちも、
「宮島って何??」と、しばらく “宮島ばなし” で盛り上がっていた。

sabiは広島の出身なので、
宮島がしゃもじの名産地だということは、もちろんよく知っている。
(広島人じゃなくても知ってるのかな? 高校野球の応援とかにも出てくるし。)
でも、宮島でつくられたしゃもじやら、木のへらやら、
そういう類のものをひっくるめて「宮島」と呼ぶという風習(?)については、
今日まで、全く知らなかった。
sabi的には、これはかなりの衝撃である。

これって、関西だけなのだろうか?
関東でも言うのかな?
少なくともsabiは、広島で言ってるのは聞いたことがない‥‥。

関西で、(←関東でも??)
「広島風お好み焼き」のことを「広島焼」と言っているのもショックだったが、
「宮島」は、それに次ぐショック。
でも、「広島焼」という響きがなんだか妙に不愉快であるのに対して、
「宮島」はむしろ、なかなかやるじゃん宮島っ! という感じである。


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| 広島(故郷・実家・追憶) | 17:23 | comments(29) | trackbacks(0) |
Mrさんを偲ぶ
1997年の今日、sabi&だいすにとって大切な人がこの世を去った。
Mrさん。
肝臓ガンにおかされていたとのこと。
まだ36歳という若さだった。

1997年春、sabiは念願の就職を果たし、生まれて初めて故郷の広島を離れた。
広島には大学時代のサークル仲間がたくさんいて、
みんなわがことのように、sabi&だいすの門出をよろこんでくれた。
3月の終わり(29日だったか30日だったか)に、
みんなと一緒に居酒屋おそ松の座敷で、広島生活最後の呑み会をした。
そのときに、件のMrさんも顔を出してくれた。

Mrさんは、サークルOBの集まりではいつもたいてい最年長であった。
だいすより4つ上。
しかし、われわれにとってはすごく身近な存在でもあった。

その日のMrさんは、少し元気がなさそうな(だるそうな)感じに見えた。
しかし、Mrさんはふだんから饒舌な人ではなく、
いつも静かに落ち着いた雰囲気でそこにいる、という感じの人だったので、
さしたる異変のようなものは感じとれなかった。
あまりお酒もすすまないようだったし(←ふだんはものすごい酒豪)、
一次会で帰ってしまわれたので(←たいてい最後までお付き合いしてくれる人である)、
今日は体調が悪いのかなぁ、とは思っていたが。

sabi&だいすは、借家を完全に引き払うのに少し時間がかかるため、
4月初旬か中旬、再び広島へ戻ることにしていた。
そのときに、Mrさんとまた会おうと約束をしていた。
確か、日にちもちゃんと決めて、連絡していたと思う。

そして、sabi&だいすは約束の日に広島へ戻り、Mrさんに電話をかけた。
しかし、何度かけてもMrさんは出ない。(ちなみに一人暮らしである。)
次の日も出ない。
こんなことは今までなかった。
在宅のお仕事をしていることもあり、たいていいつも家におられた。
また、約束を忘れるような人でもない。
当時は携帯電話も普及していなかったので、Mrさんの家まで行って、
チャイムを鳴らしてみた。
しかし、反応はない。部屋の灯も消えている。
不安だったがなすすべもなく、われわれは広島をあとにせざるをえなかった。

それから、どれくらいの日がたった頃だったか。
サークルOBのKzくんから電話があった。だいすが出た。
やりとりの詳細はわからないが、「Mrさんのこと、知ってますか」と聞かれ、
実は4月8日に亡くなっていたのだ、と告げられたらしい。

サークル関係の仲間は、だれもその事実を知らなかった。
たまたまMrさんと仕事上のつながりのある後輩(同じくサークルのOB)が、
お葬式に出席したとのこと。
彼はsabiより5つぐらい下なので、Mrさんとのつながりも比較的薄かった。
サークルのOBに知らせるというような発想は、彼の頭の中にはなかったというか、
どうもいま一つピンとこなかったようである。
一方Kzくんは、Mrさんと非常に親しかった仲間の一人である。
ずいぶんたって、たまたま彼と会ったときにその話を聞いたらしい。
Kzくんは大きなショックを受けた。
そして、だいすに知らせなければ、と思って連絡してくれたのである。

われわれサークル仲間は、Mrさんとあまりにも親しかったがゆえに、
年賀状のやりとりすらしていなかった(する必要がなかった)。
われわれの連絡先は、すべてMrさんのパソコンかフロッピーの中にあった。
おそらく遺族の方々の中で、パソコンを使えるような方はおられなかったのだろう。
だから、だれにも連絡が来なかったのだろう。

そして、遺族の方を含めいろいろな人たちのお話を総合すると、
Mrさんは、このところ調子が悪いというので病院に行き、
もっと大きな病院で精密検査を受けるようにと勧められていたらしい。
4月に入ってまもなく、自宅で身体が動かなくなってしまったMrさんは、
自力で119番して救急車を呼んで、そのまま入院。
すぐに近くの実家から家族が駆けつけた。
そして8日には、Mrさんは還らぬ人となったそうである。

あとから思えば、居酒屋おそ松でのsabi&だいすの送別会も、
(実は送別会という名の単なる呑み会だったにしても)
最後だからというので、辛いのに無理して来てくれたんだろうなと思う。
Mrさんはそういう人だった。

とにかく、だいすのショックは大きかった。
だいすが学生時代にMrさんの家で過ごした時間は、膨大なものだった。
お酒を呑んだり、麻雀をしたり、
マンガ本のことやゲームのこと、パソコンのことについて指南を受けたり。
当時はオタクという言葉はまだなかったと思うが、
今のだいすのオタク的要素を創りあげる土台となったのは、
「Mrさんの家」という空間だったような気がする。
あのコミックの山や、ゲームソフトの山は、その後どうなったのだろう。
そして、Mrさんの趣味でもあり、商売道具でもあったパソコンは‥‥。
たぶん、売られたか捨てられたか、いずれにしろ処分されてしまったのだろうな。
さびしい限りである。

sabi&だいすの家には、Mrさんからもらった(または安く買い取った)
電化製品がたくさんある。
電話機、テレビ、ビデオデッキなど。
壊れるまで使ったものもあるし、今でも現役で活躍しているものもある。
さすがにこれだけの年数が経つと、ほとんどのものはやや壊れかけているのだが、
捨てられない。
完全に使用不能になるまでは、たぶん使い続けるだろうと思う。

Mrさんのお墓は、広島のとある山の上にある。
以前は命日になるとお墓参りに行ったものだが、ここ数年は行っていない。
近畿での生活が忙しくなってきて、
なかなか好きなときに広島に帰るということができなくなったのである。
でも、わが家の空間のあちこちに、そしてsabi&だいすの心の中に、
Mrさんはいつもいる。
静かにそっと、私たちを見守ってくれている。

実はsabiは、毎年4月8日になると、
Mrさんがだいすを連れに来るような気がして、不安に駆られたものである。
一人じゃさびしいからここにおいでよって、
仲の良かっただいすを誘いにやってくるんじゃないだろうか、と。
今は、sabiはそんなふうには思っていない。
ただ静かに、黙ってそばにいてくれてるような気がしている。
合掌。


| 広島(故郷・実家・追憶) | 23:39 | comments(5) | trackbacks(0) |
これってどうなんじゃろ〜?
キミドリさんのブログ、「キミドリさんのお家」の記事に触発されて、
sabiも、広島弁どっぷりの生活を送っていた頃のことを思い出した。

高校時代まで、sabiのまわりには、広島弁以外の言葉を話す人はほとんどいなかった。
大学に入って初めて、さまざまな言葉を話す人と出会った。
でも、基本的には広島にいるのだから、やっぱり依然としてスタンダードは広島弁。
近畿や東海、四国、九州の人たちの言葉にいろんな不思議を発見しては、
感動していた。
お隣の山口、島根、岡山など、
同じ中国地方にも、いろいろと不思議な言葉があることも知った。

「実は広島弁にも不思議がある」と気づいたのは、大学院に入ってからのことだった。
sabiは相変わらず広島で暮らしていたが、
学会や研究会などで、他の都道府県へ出かける機会が圧倒的に多くなった。
人間関係の幅も広くなり、
広島弁ユーザー以外の人との付き合いが、今まで以上に増えてきた。

衝撃だったのは、sabiがある学会大会の総会で、
学会の事務局幹事として、会計報告をしたときのこと。
sabiはそれまで、
“広島弁は、比較的標準語に近い言葉である”という確信に近いものを持っていた。
そして、sabiは会計報告の際に、特に広島弁特有の表現を使ったわけでもない。
それなのに、総会のあと、研究室のOBの人たちは口々にこう言った。
「いやぁ、懐かしかったよ〜。学生時代、広島にいた頃のことを思い出して。」

なぜ???
sabiは、あとでだいすに聞いてみた。
だいすは、関西人には珍しく標準語を話せる人であり、
かつ、広島に来てからは、関西弁と広島弁のバイリンガルでもある。
だいすはあっさりと言った。
「そりゃあ、文字にすれば標準語だったかもしれないけど、
sabiのイントネーションは完全に広島弁。」
愕然とするsabi‥‥。

そして、sabiが標準語だと信じていた言葉が、実は広島弁だった! という事実が、
その後、次々と発覚することになる。

例えば、「つぐ」という言葉。
「湯飲みにお茶をつぐ」などのように使われる、あの「つぐ」である。
 ◆「ガソリンをつぐ」
 ◆「空気つぎ」(←自転車のタイヤとかに空気を入れる器具)
なんと、これらは実は広島弁だ、というではないか!!
sabi的には、えぇ〜っ!? という気分である。

例えば、sabiがだいすにこう言う。
「だいす〜、足の小指にすいばりが立って痛い〜!」
「‥‥‥‥はぁ〜???」
 ◆「すいばりが立つ」
これは、標準語では「とげが刺さる」と言うらしい。
なんの味もそっけもないし、何かが違うぞ、と感じてしまう。
だって、バラのとげが刺さっても、「すいばりが立つ」とは言わないわけだし。
まったくもって、驚く話である。

その他、sabiがうすうす、
“これはひょっとしたら広島弁かも‥‥??”と予感していた言葉たちが、
やっぱり、れっきとした広島弁であったことが明らかになる。

 ◆「いたしい」
  難しい、ややこしい、めんどくさいなどの意味をすべて足したような、
  きわめて複雑なニュアンスを表す言葉。
  用例:「この問題、いたしいわぁ」
      「このデザイン縫うんは、だいぶいたしいんじゃないん?」
 ◆「たう」
  「届く」と同義。
  用例:「手がたわんけぇ、取ってくれる?」
      (海やプールなどで)「背がたわん〜!」
 ◆「はー」
  「もう」と同義。
  用例:「はー食べてしもうたん! 早いねぇ」
 ◆「みてる」
  「(消費・消耗して)なくなる」こと。
  用例:子ども「三角アメくださーい」
      お店の人「あーごめんねぇ。ありゃあ、はー今日はみてたんよ」
 ◆「わるい」or「わりい」
  「ひどい目にあって・難儀な思いをして気の毒だ」「(相手が)大変だ、えらいことだ」
  などの意。
  用例:Aさん「腕から血が出とるけど、どしたん?」
      Bさん「あぁ、さっき自転車に乗ってて、ちょっと転んだんですよ」
      Aさん「まあまあ、そりゃわりかったねぇ」
 ◆「もとおらん」
  「(発言内容の)わけがわからない」「筋道が通っていない」
  あるいは「ろれつが回らない」なども含めて、
  とにかく、何を言っているのかさっぱりわからないときに使う。
  用例:「いやぁ、ぶち緊張してのぅ、もとおらんことばっかり言うてしもうたわ」
      「あの人はいっつももとおらんけぇ、話聞きよってもホンマいたしいよねー」

‥‥このように、「どないなん?」と思うような言葉が、たくさんあるわけである。
(←広島弁で言えば、「どうなんじゃろう?」である。)

1997年に、sabiは就職して、だいすとともに近畿に移り住むこととなった。
その頃には、sabiは自分の広島弁をそれなりに自覚していたので、
学生や同僚とも、言葉の面ではなんとか支障なくやっていくことができた。
ありがたいことである。

もちろん関西人にも、不思議はいっぱいある。
例えば、なぜ関西人は飴のことを「アメちゃん」と言うのか。
そして、なぜ彼ら(彼女ら)は、いつも必ず「アメちゃん」を持ち歩き、
人に配らずにはいられないのか。
これは関西のおばちゃんだけでなく、
イケメンの若い男の子たちも、飴のことを「アメちゃん」と呼び、
親しみ慈しんでいるのである。
そのギャップに、畏怖の念を感じるsabi‥‥。

あと不思議なのは、多くの関西人は、
どこへ移り住んで何年経っても、とにかく関西弁しかしゃべらないということ。
ものすごく強烈なアイデンティティを持っているらしい。
だいすが広島弁をしゃべるのは、きわめて希有な例である。
彼は、両親や弟くんには関西弁でしゃべり、
次の瞬間、sabiに広島弁で話しかける、という芸当をやってのけたりもする。
ヘンな関西人である。

sabiはといえば、
とりあえず、広島イントネーションはだいぶ抜けてきた(らしい)。
sabiの言葉に広島を感じて懐かしんだという、研究室のOBの人たちからは、
そのことを惜しむ声も寄せられたりするのだが。
だいすと話すときは、たいてい広島弁。
しかし、ところどころに、怪しげな関西弁(もどき)が混じったりもする。
sabiはsabiなりに、広島人としてのアイデンティティを持っているつもりなのだが、
関西弁の浸食作用は、思った以上に強烈であった。

それにもかかわらず、完璧にマスターすることが困難であるというのも、
関西弁の特徴の一つである。
どんなにがんばってまねてみても、
ネイティブの関西人でないことは、必ず見抜かれて(聞き抜かれて?)しまう。
恐るべし、関西弁&関西人。

まあ、何はともあれ、
自分の使ってる言葉に誇りを持つというのは、いいことだと思う。
それはナショナリズム的な意味ではなく、
いろんな言葉があったっていいじゃないか! ということ。
いやむしろ、いろんな言葉があるからこそ、いいんじゃないかな。
それぞれの土地の言葉のニュアンスに、
あたたかさを感じたり、泥くささを感じたり、激しさを感じたり。
それぞれの言葉の中に、その土地の人々の生きざまが隠れているような気がする。


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| 広島(故郷・実家・追憶) | 16:16 | comments(6) | trackbacks(0) |
さらば広島
近畿に戻らなければならない日がやってきた。

たいていの場合、広島を離れるのは憂鬱である。
何十年も住み慣れた土地だから、当たり前といえば当たり前なのだが。

今日は予定していた用事もなくなり、実家でうだうだ。
暗くなってから、ようやく重い腰を上げた。

予想していたことだが、Uターンラッシュのピークは今日も続いていて、
新幹線はどれもほぼ満席。
で、唯一とれたのが、ひかりのグリーン車である。
おそらく自由席の車両は大変なことになっているだろうし、
背に腹は代えられない。
ちょっとリッチな気分を味わうことにした。

そんなこんなで、久しぶりにわが家へ帰宅。
郵便受けには数日分の年賀状。
部屋の中は狭くて散らかっているためか、広島の家よりずいぶんと暖かい。
「どうでしょうリターンズ」の時間にも、なんとかギリギリセーフで間に合った。
明日からまた、いつもの生活が始まるのだなぁ。
| 広島(故郷・実家・追憶) | 23:43 | comments(12) | trackbacks(2) |
初詣@平和記念公園
広島にて。

今日は夕方までのんびりして、
それからだいすと一緒に、平和記念公園へ行ってきた。
原爆の子の像に、折り鶴を捧げるためである。

昨年11月、日本のうたごえ祭典が広島で開催されたときに、
“全国から60万羽の折り鶴を広島に届けよう!”というキャンペーンがあって、
われわれもたくさんの鶴を持って行ったのだが、
そのときに置いてきぼりにされた、かわいそうな鶴がいたのである。

それらの鶴に、さらに新たな鶴も加わって、今回は600羽。
折り鶴ブースに吊し、献呈してきた。

「今日が私たちの初詣だね」と言いながら、公園の中をそぞろ歩く。

こんな日に平和記念公園に来る人などいないんじゃないかと予想していたが、
思ったよりも多くの人たちが、祈りを捧げに来ていた。
もう日も暮れかかる時間だというのに。

公園を出て、二人で本通をぶらぶらした。
フィギュアショップに寄ったり、パチンコをしたり、ゲームセンターに行ったり。
旧サ○モールが、いつの間にか萌え系中心(というのは言い過ぎか?)の
お店になっていたのにはびっくり。だいすは一度来たことがあるらしいが。

V○lksで晩ごはんを食べて、
めちゃめちゃおなかいっぱいになって帰った。
なんとなく幸せな一日だった。
| 広島(故郷・実家・追憶) | 23:28 | comments(8) | trackbacks(1) |
元旦
そして1月1日。

今日もだいすの両親の家へ行くはずだったのだが、
sabiはひどく眠くておなかも痛くて、出かけることができなかった。

だいすは弟君と一緒に両親の家に行って、
おせち料理を重箱に詰めるのを手伝ったりした。
おみやげにおせち料理をたくさん分けて持たせてくれたそうだ。
sabiは悪い人間だ。今年も先が思いやられる。

夕方ごろ家を出て、だいすと二人で広島のsabiの実家へと向かった。
広島駅のホームに降り立つと、やはり空気が美味しく感じた。
心なしか広島はやや寒い気がする。
芸備線が運転を見合わせているが、もしかしたら雪のせいだろうか。
| 広島(故郷・実家・追憶) | 23:25 | comments(9) | trackbacks(0) |
ひさびさのブログ
約1週間、パソコンのない環境に身を置いていたので、
ブログの更新ができなかった。

この数日間のsabiの動向は、だいたいこんな感じ。↓

11/1(火) だいすの仕事が終わるのを待って、二人で広島へ出発。
       深夜に広島着。sabiの実家に泊まる。

11/2(水) かねてからの懸案であった伯母の遺産相続の手続きのため、
       2つの銀行をまわる。
       手続きはなんとか無事に終わり、疲れたので速攻で実家に戻る。

11/3(木) 父の三回忌の法要。実際の命日は15日だが、sabiたちの都合で
       日程を繰り上げて実施。法要はいつもお世話になっているお寺で。
       そのあと会場を移してみんなで会食。母と姉一家とsabi&だいす、
       そして母方の親戚3名が参加。

       夕方からsabiとだいすは、うたごえ祭典inひろしまの前夜祭、
       オプショナル企画「銀河ナイトクルージング」に参加。
       銀河とは、広島では有名な豪華(?)客船である。その船の上で、
       宮島などの夜景を楽しみながら、呑んで食べてみんなでうたおうと
       いう素晴らしいイベントで、sabiもだいすもすごく楽しみにしていた。
       しかし、二人ともさっきの会食ですっかり呑み過ぎ&食べ過ぎ状態。
       それに加えて、sabiは風邪でほとんど声が出ず、うたうこともままならない。
       いったい何しに来たんだか・・・。
       でも、素敵な歌やピアノを聴いて、和気藹々とした楽しい雰囲気にひたれて、
       それなりに楽しい時間を過ごしたsabiであった。

11/4(金) いよいよ、日本のうたごえ祭典inひろしまが開幕。
       合唱発表会(@アステールプラザ)では、
       sabiとだいすは一般の部B(AM)、一般の部A(PM)に出演。
       声が出なくてほとんどうたえないsabiは、出演をあきらめようかと
       何度思ったかわからない。でも、師匠のIさんをはじめみんなに
       励まされて、気合いだけでステージに立った。声が出なくても
       みんなと一緒にしっかり演奏に参加していた、と思う。

       夜のピースウェーブコンサート(@広島厚生年金会館)では、
       だいすが男声合唱のコーナーに出演。男声ならではの迫力たっぷりの
       素晴らしい演奏を披露。拍手喝采を浴びる。
       sabiの母と姉も聴きに来てくれていた。内容的にはなかなか重い
       コンサートだったので、ちょっとしんどかったかもなぁ。

       コンサート終了後は、私たちの合唱団の打ち上げ。sabiとだいすの
       20年来の行きつけのお店「居酒屋おそ松」にて。
       参加者は少なかったものの、楽しい雰囲気でお互いをねぎらい、
       きょう一日の感想をワイワイ言い合ったりしながら、
       疲れを癒し、おなかを満たした。       

11/5(土) 祭典2日目。この日は出番がなくてお気楽な二人。
       といっても合間合間に、明日の大音楽会の練習が入ってて、
       あちこち移動しなければならなかったりするわけだが。
       合唱発表会では、女性・親子の部とオリジナルコンサートを聴きに行く。
       夕方からは、原爆ドーム前河川敷での野外コンサート。
       被爆ピアノが川辺に持ち込まれ、
       村上弦一郎さん、池辺晋一郎さんといった大音楽家がそれを弾くという
       画期的な企画も入っている。
       合唱やシングアウトはもちろん、チェロの演奏や踊りなどの
       多様なプログラムが組まれていて、参加者を飽きさせない。
       ナターシャ&カーチャ・グジー姉妹の歌も素晴らしかった。
       sabi&だいすはドーム側の岸で聴いていたが、川の向こうもこっちも
       人であふれかえっていて、いったい何人の聴衆がいたのかわからない。

       sabiはやっと声がもとに戻った。みんなで明日の曲を練習したとき、
       本調子ではないがちゃんと高い声も出ていた。
       なんであと1日早く治ってくれなかったのだろう・・・。
       
11/6(日) 合唱発表会(コンクール)の結果が発表された。
       私たちの合唱団は、なんと3位次席(全体で6位)!
       おそらく過去最高の成績である。
       これまでの経緯を考えると多少複雑な思いもあるにはあるが、
       団のみんながこれからもっともっと前向きにがんばっていくうえでの、
       大きな足がかりにはなるに違いない。

       今日は祭典の最終日。メインイベントである大音楽会「ヒューマンフェスタ」
       が、グリーンアリーナにて開催された。
       残念なことに、今日は広島県知事選挙の投票日と重なっていて、
       そのために来場できなかったお客さんもたくさんいると推測される。
       しかし、コンサート自体は素晴らしい内容だった。
       sabiとだいすは、「ピース9」「1000人の大合唱」のコーナーに出演。
       どの曲も、本当に楽しく心を込めて演奏することができた。
       (「楽しく」というと語弊のある曲もあるが、演奏すること、
       たくさんの人に聴いてもらうことのよろこびを感じながら
       うたえた、というような意味合いである。)

       そして祭典に参加したみんなはそれぞれの都道府県へと帰り、
       sabiとだいすは、再びsabiの実家へと帰った。

       いったん、団のメンバーの何人かと一緒に広島駅まで行ったのだが、
       駅の「海家(Sea Yah!)」というお店に寄ってみんなで呑み、
       さらにみんなが新幹線で帰ったあと、二人で4時間も呑んでしまった。
       エビスビールばっかり呑みつづけたため、お店のエビスビールが
       品切れになったほどの呑みっぷり。
       バカ夫婦である。

11/7(月) お昼過ぎ、sabiの姉が実家に来た。
       伯母の香典返しでお世話になった、近所の進物屋さんにご挨拶に行ったり、
       相続関係の書類の受け渡しをしたりした。
       3人でお好み焼きを食べながら、今後のことについてあれこれ話をしたが、
       別に何が決まったというわけでもなく、
       いろいろあるねぇということで、話は終わった。
       父の命日にも、また実家に来てお参りをしてくれるとのこと。
       sabiは実家には行けないので、こっちでお墓参りをしたいなぁと思っている。

       伯母の遺産でsabiが相続するものとしては、あと、PL教団の
       悟加富というものが残っている。
       その件について広島にいるうちにご相談できたらと思い、
       PL教会に電話してみたのだが、
       お世話をしてくださっている方がちょうど大阪の本部に出張中とのこと。
       sabiたちが近畿方面に帰るのと入れ違いに、広島に戻って来られるらしい。
       残念なことである。

       広島最後の夜は、よく行く近所のラーメン屋さんに出かけた。
       2週間前ぐらいから、メニューに餃子が加わったとか。
       ラーメンに入れてくれてた餃子が美味しかったので、2人前注文した。
       中国の家庭の餃子の味をめざして、1年半前ぐらいから研究してきたが、
       どう工夫してもあの味は出せないのだという。
       しかし、十分美味しい。
       今もなお研究中とのことで、また食べに行くのが楽しみである。
       
11/8(火) そして今日。
       だいすがバイトに間に合う時間に広島を出ないといけなかったのだが、
       例によってsabiがのろのろしていたために出発時間は大幅に遅れ、
       だいすは大遅刻となってしまった。
       いま、だいすは働いている最中で、sabiは自宅でブログを書いている。
       いろいろあったが、夢のような数日間だった。
       祭りのあとはなんだかうらさびしいものだが、
       次の目標に向かって、またがんばろう!!
| 広島(故郷・実家・追憶) | 15:32 | comments(31) | trackbacks(0) |
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