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常識のちがい? 価値観のちがい?
だいすに、就職の話が舞い込んできた。
しかし、3日後(←実質2日後)には、その話は消え去っていた。

2月29日の深夜、sabi&だいすがとっても親しくしている人から、
だいすの携帯にメールがあった。
「就職する気ある?」というような、わりと軽い内容の、
3〜4行程度のメールだったらしい。(sabiは見ていないので、よく知らない。)

だいすがメールを見たのは、その翌朝(3月1日)。
sabiはまだ寝ていた。
ほどなく、メールをくれた人から、わが家に電話があった。(sabiは起きた。)
だいすはその電話で初めて、
勤務先の所在地、職種、勤務時間・条件などなど、詳しい情報を聞いた。
「sabiともまだ話をしていないし、ちょっと考えさせてもらってからお返事します」
というようなことを言って、だいすは通話を終えた。

勤務は4月から。
できれば前任者がいるうちに、早めに(3月から)入ってもらえれば、とのこと。

月〜金、フルタイムの仕事だという。
しかも、わが家からだと、通勤時間が相当かかる。
うたごえ運動に理解のある職場だとはいうものの、
当然、いまのような時間の使い方はできなくなってしまうだろう。
また、現在だいすが働いている労働組合の仕事(週2回・パートタイム)を、
どうするのかという問題もある。代わりの人が、すぐに見つかるかどうか……。

それに、こういう話においては、sabiの病気のことは非常に難しいファクターである。
sabiがいまの職場で働けなくなったときのことを想定すると、
だいすも定職を持っておいたほうが安心である、というのが二人の共通見解。
しかし、だいすに時間的な余裕がなくなることで、
sabiにもたらされるマイナスの影響を考えると、これもまたきびしいものがある。
病院についてきてもらうこともできなくなるし、
いざというとき(←いろいろある)のことが、かなり心配される。

あと、sabiとしては、“だいすは職に就きたいのか?”という点が、最も重要。
一時期、だいすには、かなり強い就職願望があった。
「就職していない自分は、一人前とは言えないんじゃないか」とか、
「こんな自分には、うたごえ運動の真髄などわからないんじゃないか」とか、
何かにつけて、引っかかりを感じていた様子だった。
しかし、その点について聞いてみると、いまはそれほどでもないという。
だいすの中にどういう変化があったのか、具体的にはよくわからないが、
sabi的には、「それほどでもない」んだったら、正直なところいまのままがいい。
少なくともsabiは、だいすのことを誇りに思っているし、
世の中にはいろんな生き方があっていいし、
だいすの毎日がそれなりに充実しているんだったら、それでいい。
しかも、たくさんの仲間たちがだいすのことをちゃんと見ていて、評価してくれている。
それで十分じゃないか、と思う。

前置きがすっかり長くなってしまった。ここからが本題。

だいすの就職に関しては、こうしたいくつかのファクターが複雑にからんでいるため、
YESかNOか、1日や2日ですぐに返事をすることはできなかった。
ちょっとしたアルバイトならいざ知らず、正式な就職という話であれば、
だいすのみならず、たいていの人はそうだろう。
……と、sabi&だいすは思っていた。

ところが。
今朝(3月3日早朝)、くだんの知人から、だいすの携帯にこんなメールがあった。

「この前は、いらない話を持ち込んですみません。
 あれからお返事がないので、あの話はなかったことにしてください。
 よけいなお節介を焼いて、申しわけありませんでした。」

……えっ?

「あれからお返事がない」って、どういうこと??
われわれが実際考える時間なんて、まる2日間しかなかったじゃん!??

しかも、この文面、表向きはなんだか謝っているようにも見えるが、
実はこれは明らかに、怒っているとき・ムッとしているときの文章であると、
知人の性格をよく知っているsabi&だいすは、判断せざるをえなかった。

確かに、先方が急いでいることはわかっていた。
もしだいすがダメなら、早く次の人を探さなきゃならないわけであって。
でも、よもや2日で決めねばならないとは、思いもしなかった。
しかも、それで「返事がない」といって怒られるとは……。

だいすはすぐに、お詫びの返信メールを出した。
いくつかの問題からすぐには決められず、現時点でもまだ決めきれないので、
申しわけないが今回の話は流してください、ご迷惑をおかけしました、と。

「期限について確認しなかったのは、こっちのミスだった」と、だいすは言う。
sabiが、「じゃあ、最初から3日後ってわかってたら、どうした?」と聞くと、
だいすはすぐに、「そしたら、その時点で断わってたなぁ」と言った。

この行き違いって、いったいなんだったんだろう。
返事を待ってもらえる時間はおよそ○○みたいな、常識のちがい?
それとも、就職というものの重さ・軽さの感じ方、価値観のちがい?


JUGEMテーマ:日記・一般
| 家族・親族 | 17:32 | comments(129) | trackbacks(10) |
家族の昼食会と、母親への失望
sabi&だいすは今日、sabiの広島の家族と、昼食会をする約束をしていた。

姉一家とは、毎年お正月にsabiたちの実家に集まって、
みんなでお仏壇を拝んだり、話をしたり、食事をしたりするのだが、
母は、この家に足を踏み入れるのが億劫らしく、ほとんど来ない。
(母もsabiと同じような病気があるのと、家にまつわるイヤな思い出からだと思う。)

それが今年は、
「全日空ホテルのレストランで、みんなで鉄板焼のステーキを食べよう!」と、
やたら張り切っているというのである。

調子の悪いときはあんなに出無精だった母が、
自分から率先して外に出かけようと言い、レストランの予約も自分でしたという話。
sabi&だいすとしては、たとえ母と会うのが多少(かなり)憂鬱であっても、
これは、付き合わないわけにはいかないだろう。

というわけで、食事会に出かけた。

だいすが事前に、こっそりネットで調べてくれていたのだが、
ずいぶん値の張るコースである。
確かに、ステーキはとっても美味しくて、sabiは幸せな気分になった。
でも、最後にお会計をしているのは、なぜかsabiの姉‥‥。
(まあ、わが家の共通の出費にあてるためのお金が少々あるので、
 たぶんそこから出したのだろうけど。)
そして、sabiの義兄(=sabiの姉の夫)は、
体調がかつてないほど最悪のところへ、無理やりこのイベントに付き合わされて、
ずいぶん参っている様子。
なんとも申しわけないことである。

全日空ホテルの隣に、白神社という神社がある。
母は、この食事会にあたって、
「sabiちゃんと一緒に白神社へお参りして、二人で元気になりましょう!」と、
勝手に決めていたのだが、
ずいぶん参拝客が多くて混雑していたため、外から拝むだけにとどめることにした。
sabi的には、半分はホッとした気分。
半分はかなり恥ずかしかった。
なぜなら、たぶん往来を歩いている人々の目には、
sabiと母は、かなり奇異な行動をとる人物として映っただろうから‥‥。

さて、問題はこのあとである。

ホテルのラウンジで、お茶でも飲みながら団らんしようということになった。

実はsabiは、
「県のうたごえ祭典」の記事が写真入りで載った新聞(一般紙)のコピーと、
今年の全国祭典のことを大々的に取り上げてくれている「うたごえ新聞」新年号とを、
母と姉に見てもらおうと思い、それぞれ封筒に入れて持ってきていた。
強迫性障害の(特に不潔恐怖がひどい)母のことを思って、
新聞も、コピーの紙も、封筒も、ちゃんときれいなものを選んできた。

‥‥しかし。
母は、その場でざっと目を通してはくれたが、
なんと、帰るときに、さりげなく封筒ごと置いていこうとしたのである。
(もちろん故意にである。)
sabiが母に、「持って帰って」と言うと、
「いらないから、sabiちゃん持って帰ってよ」と、きっぱり拒否されてしまった。
自分の “お城” であるマンションの部屋の中に、
新たな物を持ち込むのがイヤだから! というのが、主たる理由。
たかが、こんな薄っぺら〜い封筒なのに‥‥。

“だれがさわったかわからない新聞”ではないことも、一生懸命アピールしたが、
母は、全く聞く耳を持たなかった。
「頼むから持って帰って、お願い」とまで、言われてしまった。
(お願いしたいのはこっちのほうだ、と言いたいところなのだが。)

sabiはかなり気分を害して、
「もういい! 父にあげるからいい!」と、言い放ってしまった。
(←関係ないが、sabiは父母のことを実際に「父」「母」と呼んでいたのである。)

母もなんとなく、sabiがよっぽど傷ついたんだろうなぁと感じたらしい。
しきりに、「ごめんね、ごめんね」と謝っていた。
もちろんそれで、
“やっぱり持って帰ろう”と、思い直してくれるわけではなかったのだが‥‥。

そんなこんなでラウンジを出て、
姉一家は、「母を送ってから、お仏壇を拝みに実家へ寄るね」と言ったが、
当然のことながら、母は、「じゃあ私も」などとは言わなかった。
年に一度くらい、夫の位牌に手を合わせようとは思わないのか?
いまさらではあるが、情けない。

実家へ帰って、
sabiは、母にあげるつもりだったものを全部、父の遺影の前に並べた。

お仏壇の前で、しばらく姉たちと団らん。
義兄の運転する車で、伯母の家に行って、郵便受けの様子を見る。
広島の街まで送ってもらって、sabi&だいすは姉一家と別れ、居酒屋おそ松へ。
そのあとなぜか、カラオケにも行ってしまった。

再び実家へと帰宅したsabiは、
父の遺影に向かって話しかけながら、ぐしぐしと泣いた。

自分が一生懸命になってとりくんでいるものを、親に見せたいと思うのは、
子の側からの押しつけに過ぎないのだろうか。
父が生きていたとき、
sabiは自分の書いた論文やら、本やら、なんでも父にあげていた。
(母はあのとき、「私にもちょうだいよ〜」などと言っていたはずなのだが‥‥。
 あれは、たんなるやきもちだったのだろうか?)
父は、たぶんsabiの書いたものを読みはしなかったのだろうと思う。
しかし、ずっと大事に持っていてくれた。
いまでもsabiは、それらをかたづけられなくて、そのままの状態で置いてある。

母に対して、なにごとかを期待するのはもうやめよう。
そう思った一日である。


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| 家族・親族 | 23:54 | comments(18) | trackbacks(1) |
だいすのお父さんの入院先へ
練習の帰りに、「ETC.of SONGS(仮)」 の人に、車で送っていただいた。
もうすぐわが家というあたりで、見覚えのあるジープとすれ違う。
運転席に目をやると、見覚えのあるサングラスのイケメン男性が‥‥。
だいすの弟くんだった。(ジープはお父さんの愛車。)

車の中なんていちいち見ないだろうし、sabiは風邪をひいてマスクをしてたから、
もし見たとしても気づかなかっただろうな(^^ゞ

弟くんも、お父さんのお見舞いに行ったのかな? と思いながら、とりあえず帰宅。

今日は、だいすと二人で、お父さんの入院先の病院へ行くことになっていた。
28日(火)に、胃の腫瘍を除去する胃内手術 (内視鏡を用いた手術) を受けて、
手術はひとまず成功。
いよいよ明日には、退院の予定なのである。
(腫瘍が良性か悪性かについては、まだわからない。)
その退院時間を確認するという目的もあって、お見舞いがてら一緒に出かけた。

お父さんは、傍目にはふだんと変わりなく元気そうに見えた。
ホッとした。
ミキサー食やら、きざみ食やら、食欲のわかないものばかり食べさせられて、
かなり参っているとのこと。
伯母のことを思い出し、やっぱり 「食」 って生命の基本だよなぁ、と思う。
とにかく、退院が待ち遠しくてしかたがないといった様子だった。
そうだろうなぁ。

腫瘍が悪性でないことを祈りつつ、病院をあとにした。

だいすと二人で、○USCOで1000円のシャツをたくさん買い、
ステージ衣装のスカートも買い、そのあと食事をした。(というか、呑んだ。)
今日は特異日だったのか、だいすの携帯は1回も鳴ることがなく、
なんだか、ひさびさに平和な(?)一日だった。


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| 家族・親族 | 23:51 | comments(30) | trackbacks(1) |
その他全般:ここらへんの間の出来事
11月のブログに書ききれなかったこと、その3。
「その他全般」 って、なんなんだ? という感じだが‥‥。

11/24(金)
  ◆だいすが高熱を出して、1日寝込んだのがこの日。
    sabiは家事もできないし、何もできずおろおろしているだけだったが、
    なんとなく、看病モードのような雰囲気にひたる。 (←意味不明。)

  ◆ゼミの学生たちは、教育学の3回生を対象としたセミナー合宿に参加。
    したがって、教育学関係のゼミはすべて休講措置となり、sabiのゼミも休講。
    sabiもかつては引率教員として、合宿には欠かさず参加していた。
    今回も行けばいいのだろうが、そういう気力もないので不参加。

  ◆ 「タケカワユキヒデ ハートフルコンサート」 (@大阪) は、
    残念ながら抽選にはずれてしまって、入場券をGETできなかった。
    もし当たっていたら、この日に一人で行くはずだったのだが、
    高熱に苦しむだいすを置いて、本当にsabiは出かけていただろうか??
    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うーん‥‥‥‥。
    そのときになってみないと、わからない (ということにしておこう) 。

11/26(日)
  ◆だいすのお父さんが明日から入院するというので (←後述) 、
    美味しいものの食べおさめに (??) 、みんなで鰻を食べに行こう!
    ということになっていたのだが、sabiは風邪のため不参加。
    いろいろな意味で残念‥‥。

11/27(月)
  ◆お父さんの入院先の病院にて、夕方から、本人と家族へのカンファレンス。
    sabiはまたもや、風邪のため不参加。
    まったく、いつも肝心なときに調子をくずしてしまう、ダメな奴である。

  ◆sabi自身も、心療内科に行くつもりだったのだが、
    当然のことながら、こちらも行けず。

11/28(火)
  ◆だいすのお父さんの手術。
    ひとまず、腫瘍は無事に除去されたらしい。 よかった!
    あとは、良性であることを祈るのみ。
 
| 家族・親族 | 23:49 | comments(6) | - |
結局、お墓参りへ
sabiは今朝の記事で、
“今日は、父のお墓参りには行けそうにない” というようなことを書いたけれど、
やっぱり行くことにした。

大きな声では言えないが、
なんと、夜の練習をサボって(!!)、Moちゃんと呑みに行くことになり、
ちょっと時間的な余裕ができたのである。

電車で片道小一時間ぐらいかかる道のりではあるが、
何度も行ってる場所なので、極度の方向オンチを誇るsabiでも、ひとりで行ける。
ちょうどなんとなく、ひとりで行ってみたい気分だったし‥‥。

お布施も持たず、数珠も持たず、お線香も持たず、なんにも持たず。
ただ、行きがけに、お花と缶ビールを買った。

いつも仏花ばかりじゃつまらん! と思い、
今日は、(花屋さんにとっては用途不明の)色とりどりの、かわいいお花にしてみた。
たまにはこういうお花もいいねと、言ってくれるにちがいない。

お墓へ到着したときには、すでに夕暮れどき。
少し寒くなっていた。
“熱燗のほうがよかったかねぇ〜” とか言いながら、父と缶ビールを呑み交わした。
伯母と仲よく分けあって、呑んでくれてるだろうか。

亡くなる前は、もっぱらウィスキー1杯とか、梅酒1杯‥‥ という感じだったが、
若い頃(?)は、行きつけのラーメン屋さんや、お寿司屋さんなどで、
思いっきり大量に呑んで帰ってきては、家の中でくだを巻いていたものである。
子ども心に、そういう父の姿は恐怖であった。
でも、いまのsabiも、もしかしたらそんなふうだったりして‥‥(^^;
(いや、さすがにそんなことはないか。)

名残は尽きないが、ずっとここにいるわけにもいかない。
“ほいじゃあ、また来るね!” と言って、お墓をあとにした。
次は、春のお彼岸かなぁ‥‥?


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| 家族・親族 | 17:38 | comments(17) | trackbacks(1) |
父の命日に思う
今日、11月15日は、sabiの父の祥月命日である。
数えてみると、4回忌ということになる。
もう法要というものは7回忌まではないから、各自、静かに過ごすのみである。

1年前のブログ に何を書いただろうかと、読み返してみた。

sabiの思いは、あの頃となにも変わっていない。

その日、長野では、「日本のうたごえ祭典」がにぎやかに催されていた。
祭典の最終日の朝、父が前日に亡くなっていたことを知り、
取り乱すsabiの横で、だいすがいろんなことを冷静に(ではないが)対処してくれて、
祈るような気持ちで、広島へと駆けつけた。
通夜の会場に到着したときの、悲しさ、そして悔しさ。
いまでも忘れられない。

でも父は、いつでもsabiの中にいる。
酒呑みのDNAだって、sabiの中では健在である。
いまのsabiのことを、父はどう思ってるかな? などと、ときどき考えたりもする。

いつだって父は、sabiのことを気にかけて、見守ってくれていた。
大学院に進学して、いつまでたっても就職できそうにないなぁと悩んでいるときに、
“自分の昔の秘めた夢を、sabiにかなえてほしい” と、励ましてくれたりもした。
父が亡くなる2年前、sabiが躁うつ病を発病し、苦しんでいたときだって‥‥。

幸いなことにというべきか、
sabiが休職する羽目に陥ったときには、父はもうこの世にいなかった。
したがって、心配をかけることもなく、ウソをついて隠す必要もなかった。
でも逆に、もし父が生きてたら、
sabiは意地でも踏みとどまって、たとえ辛くても大学へ行きつづけたのだろうか??
父もいないし、恩師ももういない‥‥ という思いが、
大学にとどまろうとする力を薄れさせてしまったのかもしれない、と思ったりもする。

漫画家のはらたいらさん(享年63)のお通夜が昨日営まれ、
今日が告別式とのこと。
棺には、焼酎3本とビール、タバコ、家族の写真が納められたという。

父の葬儀のときは、
「お棺には、燃えるもの以外は入れないでください」 と指示されたから、
ビンに入ったお酒などは、当然アウト。
(紙パックのお酒ならよかったのかもしれないが、そこまで頭がまわらなかった。)
お墓はといえば、 「お供え物はすべてお持ち帰りください」 と言われているから、
結局sabiは、実家に帰ったときだけ、遺影の前と仏壇にアルコール類をお供えして、
父と呑み交わすことにしている。

昨年の命日には、だいすと二人で、父のお墓に行ったんだよなぁ。

お墓の前で、昼間から父と呑み交わしてみたい気分ではあるが、
今日は、午後も夜も練習が入っているので、残念ながら行けそうにない‥‥。
また今度、会いに行こう。


日記・ブログ ランキング
| 家族・親族 | 11:20 | comments(27) | trackbacks(7) |
お墓の入魂式
先日、sabiの“先祖代々のお墓”の横に立っている墓標に、
伯母の戒名を追加彫りしてもらった。

追加彫りの際には、墓標をいったん石屋さんに持って帰ってもらって、
できあがったら再び元の場所へ戻してもらうわけだが、
その際に、「魂抜きの儀式」と、「魂入れの儀式」を行わなければならない。
墓標を取り去るときには「魂抜き」、再び戻すときには「魂入れ」を行うのである。
「魂抜き」から「魂入れ」までの間の宙ぶらりんな期間に、
伯母や先祖代々の魂がいったいどこへ行っているのかは謎だが、
とりあえずその期間は、お墓の中には魂はないことになっている。

このところ、なかなか時間がとれなかったsabi&だいすであるが、
やっと今日、お寺へ行って、「魂入れの儀式」をしてもらうことができた。

約束の時間にお寺へ行くと、
すでに石屋さんが、お墓のところで待っておられた。
墓標はすでに、元の場所に立っていた。
追加彫りをしてもらった部分について、確認をしてほしいということだったので、
だいすと二人でしっかり確認した。
間違いなく、伯母の戒名が彫られていた。
その場で代金の支払いなどを済ませ、石屋さんは帰って行かれた。

そして、お寺から住職さんが出てこられた。
いよいよ、「魂入れの儀式」の開始である。

父のときも同様だったが、
住職さんが細い棒を手に持ち、お墓と墓標に向けて振り回すという、
なんとも怪しげな(?)儀式である。
そのあと、お経をあげてくださり、われわれもお焼香をした。
これで伯母の魂と、先祖代々の魂は、ここに戻ってきたというわけである。

うちの母親が、「絶対に私はここには入らないからね!」と、
かたくなに言い張っている限りにおいては、
このお墓はもう、これで“完成型”ということになる。
ここ数年、立て続けにバタバタしてしまったが、やっと一段落ついて、
伯母も、父も、きっと草葉の陰で安堵していることだろう。
sabiは二人に、「また来るね」と言い残して、お墓をあとにした。

だいすには、本当にいろいろとお世話になった。
帰りに、乗り換え駅の近くにあるお気に入りの居酒屋に寄って、
二人で美味しいお魚を食べ、美味しいお酒を呑んだ。


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| 家族・親族 | 23:56 | comments(5) | trackbacks(2) |
母からメール!?
sabiの母と名乗る人から、携帯にメールが来た。
びっくりした。
ホントに母が打ってるのだろうか?
いつから始めたのか??

納骨の件のお礼。メールを始めたということ。
そして、「元気でね」と、書いてあった。

とりあえず返信はしたものの、未だに半信半疑である。

sabiの母は、広島に住んでいる。
sabiは、近畿に来てからというもの、自分から母に電話をしたことがない。
冷たい奴だと思われるかもしれないが、
母と電話で話すのは、とにかく非常にしんどいのである。

母のほうからは、以前はときどき電話がかかってきていた時期もあった。
しかし、だいすが、
「sabiは電話で長く話すのがしんどいので、
 電話をいただく回数は増えてもいいから、短くしてほしいと言ってます」
と、母に頼んで以来、電話はほとんどかかってこなくなった。
だいすも冷たい人間??
しかし、彼はsabiのためを思って、事実を述べただけなのである。

母の話は、異常に長い。
そして、“とりとめもない”という言葉では言い尽くせないほど、とりとめがない。
老化現象とかいうわけではなくて、昔からずっとそうなのである。
しかも、sabiの話はちっとも聞いてくれない。
口をはさんだり、質問をしたりする隙さえ、なかなか与えてもらえない。
そして、「じゃあまたね」と言ってから、30分以上話が続くこともまれではない。

彼女の主たる話題は、グチと、自慢話と、(偏見に満ちた)健康系のアドバイス。
sabiがちょっとでも、体調が悪いなどと言おうものなら、
あれを食べろ、これを買えと、恐ろしいほどの猛攻撃が始まるのである。
早くこの電話を切ってくれないと、
私の体調はもっと悪くなるんだけど‥‥と、心の中でしか言えないsabi。
耳は痛いし、足はだるいし、ストレスはたまるし。
その状態が、ひどいときは3時間以上、いつ終わるともなく続くのである。

しかし、一方では、母が元気で暮らしているのかどうか、非常に気になる。

母は現在、高齢者用のマンションに一人で住んでいる。
病院や福祉施設との連携もあるので、一般のマンションよりはやや安心だが、
それでもふだんの生活自体は、ごく普通の一人暮らしと何ら変わりはない。
自室の中で倒れていても、だれも気づかないかもしれないのである。

sabiは、父がひとりで自宅のお風呂の中で亡くなっていたことに関して、
その責任の大半は、母にあると思っている。
お風呂に入った時刻を特定することはできなかったが、たぶん午前中かお昼過ぎ。
深夜の12時近くまで放っておかれたのは母のせいだと、sabiはずっと思っている。

数年前、父がガンで入院したのを機に、母は家を出て、一人暮らしを始めた。
もともとは、父がいない間、母がこの家で一人で生活するのは無理だろうから、
どこかの旅館にでも泊まっていたらどうか、という話から始まったことなのだが、
母は、自主的にマンスリーマンションを探して、張り切って賃貸契約をして、
そこにすっかり腰を落ち着けてしまった。
結局、父が入院している間、母が病院を訪れたのはたった一度きりだった。
そして、父が元気になって退院してきたあとも、
父の待ちわびる家に、母が戻ってくることはなかった。

父は、最後まで、母がいずれは帰ってくるものと信じていた。
一方、母は、父がもうあきらめてくれているものと思い込んでいた。
(二人が本当に、心からそう思っていたのかどうかは定かではないが。)

そういう意味では、母に対して憎しみの気持ちはありつつも、
父のようなことにはなってほしくないと、心配する思いも出てきてしまうのである。
確かに人間としてはどうかと思うけど、
彼女もある意味、かわいそうな人ではあるわけだし。

電話で話すのはしんどいが、
メールのやりとりなら、sabiはしてもいいと思っている。
少なくとも、メールでsabiの体調が悪くなることはなさそうだし。

何よりも、元気かどうかがわかるのはありがたいことである。

東京都で、一人暮らしの高齢者の住まいにおける水道の使用状況を、
離れたところに住む家族に、毎日メールで知らせることができる、
というサービスが始まったらしい。
加えて、水道が一定時間使われていない場合は、すぐに家族に連絡が入るという。
sabi的には、これはなかなかいいアイディアだと思う。
広島でもやってくれたらいいのに。



| 家族・親族 | 17:10 | comments(10) | trackbacks(5) |
伯母の納骨
今日は8月20日。
sabiの父の誕生日である。

「死んだ子の歳を数える」ということわざがある。
考えても詮ない事柄をついつい考えてしまうこと、の例えである。
sabiも、考えても詮ないこととは知りつつ、やっぱりついつい考えてしまう。
父が生きてたら○○歳だな、と。

そんな日に、伯母の納骨をすることになったのも、何かの因縁かもしれない。

朝、だいすと一緒に、姉一家の泊まっているホテルに行って、
そこから、義兄の運転するレンタカーに乗り、みんなでお寺に行った。

うちのお墓のある場所には、すでに石屋さんが来ておられた。
お骨を納めるべく、石屋さんがフタを開けてくださった。
古いお墓なので、骨壺を納めるための空洞はない。
お墓の下にある土のところに、じかにお骨を置くという形になる。

父のお骨は、まだ土に還らずに残っていた。
ものすごく丈夫な骨だったから、そのほとんどが原形をとどめている。
たぶん、見るのは今日が最後だろうな。

その狭い空間に、伯母のお骨を入れる。
これは、喪主である姉にやってもらった。
骨壺を包んでいた布に、お骨をすべて移し、お墓の中へザラザラと流し込む。
(石屋さんの指示に従った結果、そういうやり方になった。)
なんだか妙にあっさりしてるよね、と、姉が言った。
本当にそうだよなぁ‥‥。

骨壺と布は、お寺のほうで処分してもらうことにする。
石屋さんに、伯母の戒名を書いた紙を渡す。
後日、お墓の横にある石碑(?)に、石屋さんが戒名を彫ってくださるのである。

持ってきたお花を供え、線香をたく。
そして、お寺のお坊さんが来られ、納骨式の読経をしていただいた。
伯母の戒名はずいぶん前にお知らせしてあるのに、
やっぱり父のときと同様、読み方が非常にたどたどしいのが気になってしまう。
いつもお世話になっている、広島のお寺のお坊さんの読経のほうがずっといいなと、
ついつい比較してしまうsabiであった。

順番にお焼香をして、納骨式はつつがなく終了。
最後にもう一度、一人ひとりお墓の前で手を合わせて、われわれはお寺をあとにした。

納骨式とは言っても、
参列者は、姉一家とsabi&だいすの6人だけ。
本当にこれでよかったのかなぁ。
父のときは、たくさんの親戚の方に来てもらったのに。
伯母は、これではさびしいと嘆いているかもしれない。

伯母が亡くなったのは、昨年の6月29日。
初盆があっという間に過ぎ、そして一周忌が過ぎ‥‥。
ずいぶん長い間待ってもらったけど、やっとここに連れてくることができた。
仲の良かった弟(←sabiの父)とも会えて、安堵してくれてるかなぁ。
本当に、伯母に対しては、申しわけないことばかりである。

姉一家が広島に帰るまでには、まだ時間があるので、
再び義兄の運転するレンタカーに乗って、奈良の吉野川の河川敷へと出かけた。
(「今年のテーマは渓流だ!」との義兄の主張(?)により、そういうことになった。)

吉野の「平宗(ひらそう)本店」へ行って、お昼を食べた。
柿の葉ずしの老舗として名高いお店である。
焼鮎ずしetc.も非常に美味しく、かなりリッチな気分を味わうことができた。

吉野川の河川敷といえば、何年か前になぜかタケが講演をした場所でもあるが、
今回は、かなり上流のほうまで行ってみた(と思う)。
意外にも、泳いでいる人たちがたくさんいた。
義兄と子どもたちは、海パン&水着姿になって、すっかりリゾート気分!?
短い時間ではあったが、冷たい水の感触を楽しんでいた。

そして、姉一家は広島へと帰っていった。
sabi&だいすは、帰り道、ことごとくいろんなお店に振られた末に、
最近新しくできたらしい、“お茶漬け居酒屋”(?)に寄って、食事をした。
なかなか斬新な趣向の居酒屋ではあるが、
お茶漬けを注文してしまうと、テーブルの上に他の料理を置けなくなるというのが、
ちょっと辛いかもしれない。


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| 家族・親族 | 23:19 | comments(12) | trackbacks(2) |
姉一家来たる
明日はいよいよ、伯母の納骨の日。
sabiの父も伯母も、広島に住んではいたが、生まれも本籍も近畿圏内で、
父の建てた「先祖代々之墓」が、
sabi&だいすの住んでいる宿舎から、それほど遠くないところにある。
そして、たぶん伯母が、そのお墓に入る最後の人になる。
(sabiの母親が、入りたくないとダダをこねているので。)

というわけで、広島に住んでいるsabiの姉一家が、近畿にやってきた。
伯母の骨壺を大事に抱えて。
(sabiの母親は、やっぱり来なかった。)

姉一家は、いつも決まったホテルに泊まることにしている。
どうやら、新幹線の切符とセットで、宿泊代が若干割り引かれるらしい。
そして、そのホテルにはバイキング形式のレストランがあり、
姉夫婦の下の子ども(♀=sabiの姪)は、そのレストランがやたら気に入っていて、
毎年、このホテルに泊まるのを楽しみにしているという(^^;

今夜も、彼女の要望(←欲望?)を満たすべく、
われわれは、そのレストランで食事をしようと予定していた。
しかし、今日のホテルは予想外に混んでいた。
どうやら、明日の高校野球の決勝戦を観に行く人たち(応援団など)で、
大阪近辺のホテルがあふれかえっていて、ここにもその波が押し寄せているらしい。
レストランもすでに満席で、予約もいっぱいという状況。
こんなことなら、われわれも早めに予約しておけばよかった‥‥。

しかたがないので、姪には悪いが、外へ食事に出かけることにした。
sabi&だいすがいたく気に入っている、和風創作料理(?)のお店である。
ここも一応、ホテルと一体になっているお店ではあるが、
雰囲気は非常によくて、一般のお店と何ら変わりはない。
むしろ、一般のお店よりも落ちついた感じで、きわめて快適な環境である。
(交通の便がややよくないので、あまりお客さんが来ないのかもしれない。)

せっかくなので、コース料理(というか、懐石料理風)を注文することにした。
sabi&だいすも、これは初めてである。
ワクワクしながら、箸をつけた。
ものすご〜く美味しかった(涙)。どれもこれも。
みんなで和気あいあいと、いろんな話をしながら食事を終えた。

ずいぶん帰りが遅くなってしまった。
明日はハードな一日になるだろうから、ゆっくり休まねば。
姉一家も、今夜はゆっくり休めますように。


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