2008.02.02 Saturday
これどう?
昨日はひとりで、祭典事務所で夜遅くまで仕事をしていた。
そして夜中、帰りのバスの中で、だいすの携帯に次のようなメールを送った。
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To: だいす
From: sabi
Sent: Friday, February 01, 2008 11:47 PM
Subject: これどう?
異常にそこつになってる。
これをしなくちゃという対象が次々と移り変わる。
前にやりかけていたことを忘れる。
比較的さばさばとものを捨てられる。
頭の中で考えている内容も次々と移り変わる。
頭の回転が速いのではと錯覚しないように、
ゆっくり考えよう、ゆっくりしようと気をつけている。
慎重さはある。
客観的であろうという意識は強いけれど、実際どうなのか。
不安感はより強い。なにかに脅えている時間が多い。死の恐怖。
電車内で、人が近づいてきたり、電気が一瞬消えかけたり、
大きな音がしたりするたびに、異様にびくっとする。
万能感は全くない。
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毎日の睡眠時間が少なすぎて、身体の疲労・脳の疲労もピークにきていた。
そのことによる一種のトランス状態、と解釈できなくもない。
あるいは、前半部分だけを見ると、ADDの症状とよく似ているようにも思う。
だいすも最初それを疑ったようだが、
ADDが“ある日突然”発症するものであるかどうかは不明。
しかも、本来のsabiはどちらかというと、
一つのものごとに異様なまでに集中して、じっくりととりくむタイプ。
あんまり集中しすぎて、だれかに話しかけられても気づかないこともある。
あくまで素人判断ではあるが、
ADDとはずいぶんかけ離れた気質のようにも感じられる。
素直に考えれば、やはり、sabiはすでに躁状態に突入していて、
かつ、それを薬で抑えつづけていることにより、
身体の中で、ある種のせめぎ合いが起こっているのではないだろうか。
たぶん、sabiの身体は、
ハイテンションになった自分を、心置きなく解き放ってあげたいという方向で、
動こうとしているにちがいない。
しかし、sabiの体内の薬は、(sabiの理性と同じく)それは困るといっている。
がんばれ、薬!!
もう一つ考えられるのは、祭典の残滓というか、
ある意味、sabiにとっては祭典の事務作業が、
強迫やこだわりといった諸症状に対する“行動療法”的な効果をもたらしていて、
その効果が、少し行き過ぎてしまったのかもしれない。
祭典の準備にとりくんでいる間は、ある一つの仕事をしていても、
容赦なく、ほかの仕事がバンバン飛び込んできていた。
そんなときは、緊急性の高い仕事、相手のある仕事などを最優先させ、
あとでもできる仕事は、当然あとまわしにせざるをえなかった。
うっかりすると、前にやりかけていた仕事を、すっかり忘れてしまうこともある。
sabiの気質からすると、長期にわたってこういう生活を続けていくのは、
かなりつらいものがあった。
しかし、行動療法とはすごいもので(?)、
祭典が終わる頃には、sabiもすっかりこうしたスタイルに順応していた。
昨日も、“あっ、これしなくちゃ”と思った仕事を、3つも4つも同時に抱え込み、
気がつくと、最初に抱えた書類のことを忘れて、腕の中でしわくちゃにしているという、
なんとも恐ろしい状態に陥っていた。
そういう行動様式がしみついた結果、
“普通のsabiじゃない”sabiが、できあがってしまったのかもしれない。
現在、sabiの中に色濃く現われている不安感は、
そうした自分の変化に対するとまどいからきているのか?
それとも、ただたんに眠かっただけなのか?
自分でもさっぱりわからない。
そして夜中、帰りのバスの中で、だいすの携帯に次のようなメールを送った。
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To: だいす
From: sabi
Sent: Friday, February 01, 2008 11:47 PM
Subject: これどう?
異常にそこつになってる。
これをしなくちゃという対象が次々と移り変わる。
前にやりかけていたことを忘れる。
比較的さばさばとものを捨てられる。
頭の中で考えている内容も次々と移り変わる。
頭の回転が速いのではと錯覚しないように、
ゆっくり考えよう、ゆっくりしようと気をつけている。
慎重さはある。
客観的であろうという意識は強いけれど、実際どうなのか。
不安感はより強い。なにかに脅えている時間が多い。死の恐怖。
電車内で、人が近づいてきたり、電気が一瞬消えかけたり、
大きな音がしたりするたびに、異様にびくっとする。
万能感は全くない。
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毎日の睡眠時間が少なすぎて、身体の疲労・脳の疲労もピークにきていた。
そのことによる一種のトランス状態、と解釈できなくもない。
あるいは、前半部分だけを見ると、ADDの症状とよく似ているようにも思う。
だいすも最初それを疑ったようだが、
ADDが“ある日突然”発症するものであるかどうかは不明。
しかも、本来のsabiはどちらかというと、
一つのものごとに異様なまでに集中して、じっくりととりくむタイプ。
あんまり集中しすぎて、だれかに話しかけられても気づかないこともある。
あくまで素人判断ではあるが、
ADDとはずいぶんかけ離れた気質のようにも感じられる。
素直に考えれば、やはり、sabiはすでに躁状態に突入していて、
かつ、それを薬で抑えつづけていることにより、
身体の中で、ある種のせめぎ合いが起こっているのではないだろうか。
たぶん、sabiの身体は、
ハイテンションになった自分を、心置きなく解き放ってあげたいという方向で、
動こうとしているにちがいない。
しかし、sabiの体内の薬は、(sabiの理性と同じく)それは困るといっている。
がんばれ、薬!!
もう一つ考えられるのは、祭典の残滓というか、
ある意味、sabiにとっては祭典の事務作業が、
強迫やこだわりといった諸症状に対する“行動療法”的な効果をもたらしていて、
その効果が、少し行き過ぎてしまったのかもしれない。
祭典の準備にとりくんでいる間は、ある一つの仕事をしていても、
容赦なく、ほかの仕事がバンバン飛び込んできていた。
そんなときは、緊急性の高い仕事、相手のある仕事などを最優先させ、
あとでもできる仕事は、当然あとまわしにせざるをえなかった。
うっかりすると、前にやりかけていた仕事を、すっかり忘れてしまうこともある。
sabiの気質からすると、長期にわたってこういう生活を続けていくのは、
かなりつらいものがあった。
しかし、行動療法とはすごいもので(?)、
祭典が終わる頃には、sabiもすっかりこうしたスタイルに順応していた。
昨日も、“あっ、これしなくちゃ”と思った仕事を、3つも4つも同時に抱え込み、
気がつくと、最初に抱えた書類のことを忘れて、腕の中でしわくちゃにしているという、
なんとも恐ろしい状態に陥っていた。
そういう行動様式がしみついた結果、
“普通のsabiじゃない”sabiが、できあがってしまったのかもしれない。
現在、sabiの中に色濃く現われている不安感は、
そうした自分の変化に対するとまどいからきているのか?
それとも、ただたんに眠かっただけなのか?
自分でもさっぱりわからない。
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