2005.10.22 Saturday
分骨式
今日は、一昨年の11月に亡くなったsabiの父の分骨式をした。
奇しくも(?)この日は、タケカワユキヒデさんの53歳のお誕生日でもある。
父のお骨はすでにお墓の中。
父は長年(sabiの実家でもある)広島の家で暮らしていたが、
もともとの出身は関西で、
かつて父が建てたご先祖のお墓は関西にあり、sabiの現在の住居からもけっこう近い。
納骨にあたっていろいろ意見は分かれたが、
結局、父は自分の建てたお墓に入りたかったのだろうということで、
関西のお墓にお骨を納めることにした。
広島に住んでいるsabiの母や姉も、はるばるこちらまで来て、
昨年の納骨式を済ませたのである。
しかし今年になって突然、問題が発生。
母が関西のお墓に入りたくないと言うのだ。
理由はいろいろあるが、どうやら、お寺の方針に不満があるらしい。
広島で新たにお墓を建てて、そこへ入ると言いはじめた。
母は言い出したらきかない人なので、もうこれは、何がどうあろうとそういう
ことになるのである。
とすると、父と母を一緒のお墓に入れるためには、
申しわけないが父に分身の術を使って移動してもらうしかない、というわけだ。
実は分骨の話は、ず〜っと前からすでに出ていた。
母や姉や、昔の同僚など親しい人たちにとっては、広島にもお墓があったほうが
いいに決まっている。
sabiもだいすも、かなり強くそれを主張した記憶がある。
しかし、母が反対した。
理由は不明。「分骨はよくないから」の一点張りだった。
あとでよく聞いてみると、どうやら根拠はなかったらしい。
「どこかで誰かからそういう話を聞いたことがあったの。」と言う。
今回の分骨の件は、母もわりとすんなり受け入れた。
「私は一人でお墓に入るの。」などと言い出したらどうしようかと思ったが、
まあそういうこともなく、なんとか分骨式までこぎつけたのでひとまず安堵。
今日の分骨式に参加したのは、
姉夫婦とその子どもたち二人、そしてsabiとだいすの計6人。
母はあまり調子がよくないので、今回はあえて誘わなかったとのこと。
直前に雨が降り出して、一時はどうなることかと思ったが、
読経が済んで魂抜きの儀式をし、お骨を取り出すために墓石を上げたときには、
雨はすっかり止んでいた。
あれは父の涙だったのかなぁ。愛着のある土地を離れる悲しみの涙か、
広島に帰れるよろこびの涙か。
お骨は風呂敷に包んだままで土に埋めていたのだが、
風呂敷はまったく朽ちておらず、中のお骨もほとんど元のままだった。
お葬式で棺桶に入れた花々の色がお骨に移って、ピンク色に染まったところもそのままだ。
父はかなり骨が丈夫だったらしく、焼いたあとの骨は本当にしっかりしていた。
今日再び見てみても、下あごの骨など全然崩れてなくて、
ああこれは父の歯型だなぁ、とよくわかる。
分骨用の小さな骨壺に、指で直接つまんでお骨を入れる。
sabiが骨壺を持っていて、姉にお骨を入れてもらった。
最後にsabiも、ひとかけらだけ入れた。
亡くなった父と対面したときはもう棺桶の中で、父にすがって泣くこともできず、
触れることすらできなかったが、
あのとき以来、いま初めて触れられたなぁと思った。
お骨は、しばらく姉の家で預かってもらうことになる。
母の建てる新しいお墓は、いつどこにできるのか全く未定。
また、ひと悶着もふた悶着もありそうな予感はするが、果たしてどうなることやら。
奇しくも(?)この日は、タケカワユキヒデさんの53歳のお誕生日でもある。
父のお骨はすでにお墓の中。
父は長年(sabiの実家でもある)広島の家で暮らしていたが、
もともとの出身は関西で、
かつて父が建てたご先祖のお墓は関西にあり、sabiの現在の住居からもけっこう近い。
納骨にあたっていろいろ意見は分かれたが、
結局、父は自分の建てたお墓に入りたかったのだろうということで、
関西のお墓にお骨を納めることにした。
広島に住んでいるsabiの母や姉も、はるばるこちらまで来て、
昨年の納骨式を済ませたのである。
しかし今年になって突然、問題が発生。
母が関西のお墓に入りたくないと言うのだ。
理由はいろいろあるが、どうやら、お寺の方針に不満があるらしい。
広島で新たにお墓を建てて、そこへ入ると言いはじめた。
母は言い出したらきかない人なので、もうこれは、何がどうあろうとそういう
ことになるのである。
とすると、父と母を一緒のお墓に入れるためには、
申しわけないが父に分身の術を使って移動してもらうしかない、というわけだ。
実は分骨の話は、ず〜っと前からすでに出ていた。
母や姉や、昔の同僚など親しい人たちにとっては、広島にもお墓があったほうが
いいに決まっている。
sabiもだいすも、かなり強くそれを主張した記憶がある。
しかし、母が反対した。
理由は不明。「分骨はよくないから」の一点張りだった。
あとでよく聞いてみると、どうやら根拠はなかったらしい。
「どこかで誰かからそういう話を聞いたことがあったの。」と言う。
今回の分骨の件は、母もわりとすんなり受け入れた。
「私は一人でお墓に入るの。」などと言い出したらどうしようかと思ったが、
まあそういうこともなく、なんとか分骨式までこぎつけたのでひとまず安堵。
今日の分骨式に参加したのは、
姉夫婦とその子どもたち二人、そしてsabiとだいすの計6人。
母はあまり調子がよくないので、今回はあえて誘わなかったとのこと。
直前に雨が降り出して、一時はどうなることかと思ったが、
読経が済んで魂抜きの儀式をし、お骨を取り出すために墓石を上げたときには、
雨はすっかり止んでいた。
あれは父の涙だったのかなぁ。愛着のある土地を離れる悲しみの涙か、
広島に帰れるよろこびの涙か。
お骨は風呂敷に包んだままで土に埋めていたのだが、
風呂敷はまったく朽ちておらず、中のお骨もほとんど元のままだった。
お葬式で棺桶に入れた花々の色がお骨に移って、ピンク色に染まったところもそのままだ。
父はかなり骨が丈夫だったらしく、焼いたあとの骨は本当にしっかりしていた。
今日再び見てみても、下あごの骨など全然崩れてなくて、
ああこれは父の歯型だなぁ、とよくわかる。
分骨用の小さな骨壺に、指で直接つまんでお骨を入れる。
sabiが骨壺を持っていて、姉にお骨を入れてもらった。
最後にsabiも、ひとかけらだけ入れた。
亡くなった父と対面したときはもう棺桶の中で、父にすがって泣くこともできず、
触れることすらできなかったが、
あのとき以来、いま初めて触れられたなぁと思った。
お骨は、しばらく姉の家で預かってもらうことになる。
母の建てる新しいお墓は、いつどこにできるのか全く未定。
また、ひと悶着もふた悶着もありそうな予感はするが、果たしてどうなることやら。