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予想通り・・・
妙なTRACKBACKが入ってきた。
「お宝探検隊 〜 芸能人・著名人のお宝過去を暴きます!」
と銘打ったリンクが貼ってある。
怪しいなぁと思いながらも、とりあえず見に行ってしまうsabi。
案の定、Hなサイトにつながってしまった。
ブログをつくった時点で、こういうのってゼッタイ入ると思ってた。
せっかくのTRACKBACK第1号ではあるが、とっとと削除。
ワンクリック詐欺でないことを願うばかりである。

風邪が全然治らない。
今日も練習を休むしかなくなってしまった。
うたごえ祭典では、ちゃんとうたえるんだろうか。
| ブログ | 16:38 | comments(3) | trackbacks(3) |
ヤバい!
風邪をひいてしまった。
sabiは風邪をひくと、すぐのどに来てしまうタイプ。
のどをやられると、歌がうたえなくなる。
これは非常に困る。

今日も、うちの合唱団が出演する公民館まつりに参加できなかった。
無念である。
明日は、障害者の作業所のお祭りがあり、その中のメニューの一つとして
うたう会をするということで、
だいすをはじめ、うちの合唱団から何人かが参加してリードすることになっている。
それにも参加できそうにない。
無念である。

いまヘタに無理をすると、声が出なくなってしまう可能性が大である。
なんとか、うたごえ祭典までには完全に治っていてほしい。

やっぱり、日頃の不摂生がたたったんだろうなぁ。
| うたごえ | 16:52 | comments(1) | trackbacks(0) |
準確定申告
この6月に、広島の伯母が亡くなった。
昨年から肺ガンで入院していて、だんだんと認知症の症状も出始めて、
最後には口をきくこともできなくなっていた。
表情もほとんど変わらない。もちろん筆談などもできない。
もう治る見込みがないということで、今年の初め、病院の紹介でホスピスに移った。
ホスピスでは本当に手厚く看護していただいて、
姉やsabiにも非常にまめに連絡をとってくださった。
そのおかげで、sabiとだいすは伯母の最期を看取ることができた。
姉も、亡くなる前の晩に遅くまでいて、ちゃんとお別れをすることができた。

伯母は、sabiの父のお姉さんにあたる人である。
ほかのきょうだいはごく幼いころに亡くなっているので、
伯母と父は、実質的には二人姉弟といってよいだろう。
そして、伯母は生涯独身だった。
ある時期までsabiの一家と同居していたらしいのだが(←sabiは覚えていない)、
その後はずっと一人暮らし。
自分の姪であるsabiたち姉妹を、わが子のように思ってくれていた。

父が一昨年亡くなったため、
伯母にとってsabiたち姉妹が、最も近しい肉親ということになった。
したがって、伯母の葬儀ではsabiの姉が喪主をつとめ、
その後の相続やらなんやらといった、さまざまな事務的なことすべてを、
sabiたち姉妹でやっていくことになったのだ。

こういうときに、だいすはホント頼りになる人物である。
難しい手続きとかにも非常に長けている。
ほとんど頼りまくっていると言っても、過言ではない。

父が亡くなったときの経験で、
だいたい何をすればよいのかということはsabiも把握しているのだが、
被相続人と相続人とが実の親子である場合に比べて、
伯母と姪という関係にある場合は、
相続に関するあらゆる手続きがきわめて煩雑になる、ということがわかった。
法定相続人がsabiたち姉妹のほかに存在しないということを、
いちいち証明しなければならないのである。
なんと明治時代までさかのぼって、戸籍謄本(原戸籍)を取り寄せなければならない。
そして血縁関係が遠いぶん、必要な謄本が何種類にものぼることになる。
銀行や証券会社など、見る側の人たちもたいへんである。
父のときと違って、何をするにもめちゃめちゃ時間と労力がかかるのである。

ともすれば混乱して頭がまわらなくなるsabiたち姉妹を、
いつもサポートしてくれる(というか、代わりにやってくれたりする)のが
だいすである。
今日、税務署に郵送した伯母の準確定申告の書類も、
だいすが忙しい中、時間を割いてつくってくれた。

準確定申告とは、確定申告をすべき人が年の途中で亡くなった場合、
1月1日から亡くなった日までの所得を相続人が申告するというものである。
これは相続人の義務であり、
亡くなった事実を知った日から4ヶ月以内にしなければならない。
伯母が亡くなってから、明日でちょうど4ヶ月。
今日がギリギリのタイムリミットだったわけである。

医療費の控除とかがあるので、準確定申告をすれば、
かなりの額の税金が戻ってくる。
姉からもいろんな必要書類をわざわざ送ってもらっているし、
これはもう、何がなんでも今日中にしなければならない。

しかし、だいすが申告用紙の袋を開けたのが、今朝になってからだった。
そして、領収証やらなんやらの書類をちゃんと見たのも、
今朝になってからだった。

それからがたいへん。
まず、今年の源泉徴収票が見あたらない。
sabiが必死で探して、まさかと思うところに入っていたのをやっと見つけた。
次に、相続人である姉の委任状が要るという。
これも作った。
そして最後のとどめは、伯母の除籍謄本ある? とだいすにきかれた。
sabiは、広島の実家に全部置いてきた、と答えた。
片道1時間かかる役場まで、除籍謄本をもらいに行くことになった。
伯母の本籍地がsabiたちの住んでるところの近くで、本当によかった。

なんだかんだで、必要書類はすべてそろった。
速達で郵送して、明日には広島の税務署に着くだろう。
明日が締切なので、とりあえずひと安心であると考えられなくもないが、
困ったことに明日は土曜日。
税務署は、これで間に合ったことにしてくれるだろうか。
| 家族・親族 | 20:49 | comments(1) | trackbacks(8) |
子どもが産めない理由
うたごえの仲間であるMちゃんの家に、みんなでおじゃましてきた。
Mちゃんは、今月の8日に赤ちゃんが産まれたばかり。
3446gもあったというから、大きな赤ちゃんには違いないのだが、
やっぱり小さくてかわいい。
Mちゃん曰く、よく飲みよく眠る子で、子育ては今のところすごく楽なのだとか。
いいなぁ。sabiも子どもがほしいなぁ、と思う。

sabiは今のところ、子どもはいない。
だいすとの二人暮らしは楽しいので、それはそれでいいのだが、
やっぱり子どもがほしいと思うときもある。
でも、つくらない。
それには、なかなか深刻な理由がある。

sabiは、躁うつ病と強迫性障害の薬を服用している。
1日3回、一応欠かさずに飲むことになっている。
薬をやめたらどうなるのかは、ついこの間も経験した通り。
で、
どうやらこの薬には催奇性があるらしい、というのである。
100%奇形児が産まれるというわけではないだろうが、
その確率がきわめて高い、ということなのだろう。

がんばってしばらくの間、子どもを産むために薬を中断しようかと
真剣に考えたときもあった。
でも、そこでまた困難な壁がsabiの前に立ちふさがった。
薬をやめると当然、sabiは情緒不安定な状態になるのだが、
その場合、おなかの子どもが性同一性障害になる確率が高いというのである。
うーん。これは困った。
性同一性障害でも幸せに生きていければいいかとも思うのだが、
今のこの世の中では、それもまだまだ難しそうだし。
どうしたものかということで、sabiの子作り計画はいまなお頓挫したままである。

だいすは、自分の娘を持つのが夢だ。
息子ではいけないらしい。まあ産まれてしまえば、それはそれでかわいくなる
とは思うのだが。
でも、sabiはこのままでは、だいすの夢をかなえてあげることができない。
だいすは、二人で暮らしていくのも楽しいから別にいいよと言うのだが、
sabi的には申しわけない気持ちでいっぱいだ。

sabi自身はといえば、実は子どもが好きなのかどうかよくわからない。
一応、教育学というものを研究するのがsabiの仕事なので、
子どもが嫌いではちょっと困るのだが、
本音を言うと、たまに嫌いなのかなぁと思うときもある。
脳内のセロトニンが足りないせいだろうか。

強迫性障害という病気は、脳内物質であるセロトニンが不足している人に
起こるという。
つまり、sabiはセロトニンが不足しているわけである。
で、
「セロトニン不足のサルは自分の子どもをかわいがらない」という研究結果が
あるというのを、ずいぶん前にテレビで見た。
どうやらセロトニンは、母性本能にかかわる物質のようである。
ということは、
sabiは一般女性に比べて母性本能が不足している、という結論にならざるを得ない。

実はsabiの母親は、sabiよりも深刻な強迫性障害を持っている。
ということは、彼女も母性本能が不足しているのだろうか?
ずいぶんかわいがってもらったし、愛情を注いでもらったとも思うのだが、
その愛情の方向性には、若干の問題があったことも否定できない。

そんなこともあって、sabiは、
できたら自分の血をsabiの代で断ち切りたいと思っている。
sabiが母親だなんて、産まれてくる子どもがかわいそうである。
子どもがほしいことは事実なのだが、
そういうアンビバレントな感情がsabiの中にはある。

いくら考えても、結論は出ない。
このままずるずると、タイムリミットを迎えてしまうのかなぁ。
| メンタルヘルス | 23:59 | comments(28) | trackbacks(0) |
あれから半年
あのJR福知山線の脱線事故から、今日で半年。
と、テレビで言っていた。
sabi的には、ついこの間のことのような気がしてたので、
「えーっ、もう半年経ったのかぁ・・・」という感覚である。
やはり、比較的身近なところで起こった事故だからだろうか。

sabiが往復4時間かけて通っている、例の心療内科にJRで行くには、
この路線を必ず使わなければならない。
事故のあと1ヶ月あまりJRがストップし、その間阪急電車での迂回ルートを
利用することになったのだが、
乗り換える人々が行き交う区域一帯は、混雑と混乱の極み。
やっとJRが復活し、sabiとだいすは列車に乗り、あの事故現場を通った。
かなりゆっくりと、安全に安全を重ねた運転で走行していた。

sabiの感じるところでは、なんだか乗務員さんも駅員さんも、
妙に乗客に対して(必要以上に)低姿勢になったなぁ、と思う。
まるで何かにおびえているような。
この前なんか、新幹線の中でだいすがゴミを捨てに行こうとしていると、
乗務員さんが声をかけてきて、「捨ててきましょうか?」と言われた。
いやそれはあなたの仕事じゃないでしょう、と思ったものである。

sabiの勤めている大学の学生の中にも、この事故で亡くなった人がいるという。
sabiは休職中なので、これも当時テレビを通して初めて知った。
あとで同僚の先生に聞くと、
亡くなった学生が1人、負傷して半年間の単位を棒に振った学生が1人、
そして、例のマンションに住んでいた学生が1人いるらしい。

犠牲者の中には、今でも入院生活を送っている人もいる。
重体の人もいる。
電車が怖くて乗れない人もいる。
生き残ったことに罪悪感を覚えている人もいる。

JR西日本の「日勤教育」も、マスコミや世論の批判を受けて変わってきたらしい。
と、テレビで言っていた。
PCでのバーチャル事故体験(というのは言い過ぎか)で事故の原因について学んだり、
錯視テストなどの一連のプログラムを通して、先入観による思い込みの危険性に
ついて体感したり。
なんと、10回クイズもプログラムの中に入っている。
「ヒラヤマさん、ヒラヤマさん、ヒラヤマさん・・・」って10回言ったあと、
「世界でいちばん高い山は?」という質問に答えるという、あの有名なやつ。
例えば青信号が3回続いていると、次の赤信号に気づかずに運転してしまう
ことがあるらしく、
そういう思い込みを排除するために、このプログラムは有効なのだそうだ。
ホントかな???

この前病院に行ったとき、列車は6〜7分遅れて運行していたが、
あのときの運転手さんも、この「日勤教育」を受けたのだろうか。
しかし少なくとも、遅れを取り戻そうとする運転がなかったのは進歩かもしれない。

人間にしろ機械にしろ、だれにでも何にでも過ちはあるものだから、
今のところは、できるだけ過ちを犯しにくいような環境を整えていくことしか
できないんだろうな。
そのために何ができるのか。
JR西日本だけに任せてていい問題ではない、と思うのだが。
| ニュース | 20:26 | comments(3) | trackbacks(0) |
祭典練習@京都
11月のうたごえ祭典のステージに向けて、京都の練習会に参加してきた。

一応「関西合同練習会」と銘打ってはいたが、
実際に京都以外から参加したのは、sabiとだいすを含めて6人。
チラシもたくさん配って宣伝したのに、残念な結果ではある。
でも、京都のふだんの練習の様子もかいま見ることができたし、
アットホームな雰囲気で楽しかった。もちろん、大いに勉強にもなった。

いつも京都の練習に行ってみて思うのだが、
老若男女問わず、うたうときのみんなの声がとても伸びやかで自由で、
楽しそうな表情をしている。
京都には50以上の合唱団やサークルがあるので一概には言えないが、
いわゆる声楽的な発声のしかたをしてる人は、パーセンテージ的にはそれほど
多くないような気がする。
うちの合唱団の練習風景とは、ずいぶん違うなぁと感じてしまう。

中でも決定的に違うのは、声の大きさである。
うちの合唱団ではなぜか、練習の場であまり大きな声を出さない人が多い。
ふだんの団の練習では、sabiの声はけっこう大きいほうで、
全体の調和を乱してないかと心配なほどなのだが、
京都の人たちは、これでもかというくらい一人ひとりの声が大きくて、
sabiの声なんかすぐにかき消されてしまう。

自由と統制とが相矛盾するものであるとは思わないが、
統制を超えて自由なうたごえに行き着くのは、たいへんなことだとも思う。
もちろんうちの団は、まだそんな段階にまでは至ってないわけで、
多くの人たちが、まあ練習が楽しくなさそうとまでは言わないけれど、
まだまだかなり不自由そうな感じには見える。
もちろんsabiだって初心者なので、不自由なことはいっぱいあるのだが。

京都の練習に感じるあのすがすがしさを、
うちの団の練習に求めるのは、酷なことなんだろうか。
それぞれのカラーと言ってしまえば、それまでのことかもしれないけど。
| うたごえ | 23:48 | comments(1) | trackbacks(0) |
分骨式
今日は、一昨年の11月に亡くなったsabiの父の分骨式をした。
奇しくも(?)この日は、タケカワユキヒデさんの53歳のお誕生日でもある。

父のお骨はすでにお墓の中。
父は長年(sabiの実家でもある)広島の家で暮らしていたが、
もともとの出身は関西で、
かつて父が建てたご先祖のお墓は関西にあり、sabiの現在の住居からもけっこう近い。
納骨にあたっていろいろ意見は分かれたが、
結局、父は自分の建てたお墓に入りたかったのだろうということで、
関西のお墓にお骨を納めることにした。
広島に住んでいるsabiの母や姉も、はるばるこちらまで来て、
昨年の納骨式を済ませたのである。

しかし今年になって突然、問題が発生。
母が関西のお墓に入りたくないと言うのだ。

理由はいろいろあるが、どうやら、お寺の方針に不満があるらしい。
広島で新たにお墓を建てて、そこへ入ると言いはじめた。
母は言い出したらきかない人なので、もうこれは、何がどうあろうとそういう
ことになるのである。
とすると、父と母を一緒のお墓に入れるためには、
申しわけないが父に分身の術を使って移動してもらうしかない、というわけだ。

実は分骨の話は、ず〜っと前からすでに出ていた。
母や姉や、昔の同僚など親しい人たちにとっては、広島にもお墓があったほうが
いいに決まっている。
sabiもだいすも、かなり強くそれを主張した記憶がある。
しかし、母が反対した。
理由は不明。「分骨はよくないから」の一点張りだった。
あとでよく聞いてみると、どうやら根拠はなかったらしい。
「どこかで誰かからそういう話を聞いたことがあったの。」と言う。
今回の分骨の件は、母もわりとすんなり受け入れた。
「私は一人でお墓に入るの。」などと言い出したらどうしようかと思ったが、
まあそういうこともなく、なんとか分骨式までこぎつけたのでひとまず安堵。

今日の分骨式に参加したのは、
姉夫婦とその子どもたち二人、そしてsabiとだいすの計6人。
母はあまり調子がよくないので、今回はあえて誘わなかったとのこと。
直前に雨が降り出して、一時はどうなることかと思ったが、
読経が済んで魂抜きの儀式をし、お骨を取り出すために墓石を上げたときには、
雨はすっかり止んでいた。
あれは父の涙だったのかなぁ。愛着のある土地を離れる悲しみの涙か、
広島に帰れるよろこびの涙か。

お骨は風呂敷に包んだままで土に埋めていたのだが、
風呂敷はまったく朽ちておらず、中のお骨もほとんど元のままだった。
お葬式で棺桶に入れた花々の色がお骨に移って、ピンク色に染まったところもそのままだ。
父はかなり骨が丈夫だったらしく、焼いたあとの骨は本当にしっかりしていた。
今日再び見てみても、下あごの骨など全然崩れてなくて、
ああこれは父の歯型だなぁ、とよくわかる。

分骨用の小さな骨壺に、指で直接つまんでお骨を入れる。
sabiが骨壺を持っていて、姉にお骨を入れてもらった。
最後にsabiも、ひとかけらだけ入れた。
亡くなった父と対面したときはもう棺桶の中で、父にすがって泣くこともできず、
触れることすらできなかったが、
あのとき以来、いま初めて触れられたなぁと思った。

お骨は、しばらく姉の家で預かってもらうことになる。
母の建てる新しいお墓は、いつどこにできるのか全く未定。
また、ひと悶着もふた悶着もありそうな予感はするが、果たしてどうなることやら。
| 家族・親族 | 23:40 | comments(2) | trackbacks(0) |
青年に囲まれて
今日は、青年のうたごえの練習に行ってきた。

「青年のうたごえ」なるものは全国的にも組織されているが、
今年になって、わが県でもうたごえ運動をやる若い人たちが増えてきて、
ついに、県で青年のうたごえグループを立ち上げよう! という運びになったのだ。
近畿圏の青年たちとも交流しながら、なかなか楽しくやっている様子。

しかし、うたごえユニットとしてはまだまだ人数不足で、力量的にもこれからだということで、
もはや青年ではない私たち夫婦も、しばしばバックアップ要員として入ることにしている。
もう一人、先輩のKさん(♂)も応援要員に入っているが、今日の練習には来なかった。
次々回あたりの練習では呑み会をやるというから、きっとそのときは来るだろう。

いま青年たちは、来月の4日〜6日に広島で開催される「日本のうたごえ祭典」に向けて、
青年のステージでうたう曲の練習をしている。
全国の青年たちが、それぞれの地域で同じ曲を練習してきて、
本番ではそれをみんなで一緒にうたうというわけ。

作詞・作曲も青年たちが手がけているので、
若い人のフィーリングに合った、現代風(?)の歌に仕上がっている。
したがって、若くない人にはなかなか難しいリズムがあったりして、
うたうのはけっこう大変。
少なくともうちの合唱団ではゼッタイうたえない曲だなぁ、と思う。

久しぶりにうたう曲もあって(sabiはその曲は初めて)、
みんなメロディーをすっかり忘れていたので、
今日の練習では、まず地道に各パートの音取りから始めた。
sabiは応援要員なので、音取りではソプラノとアルト両方うたう。
ついでにテノール・バスの音取りにも参加。できるところは一オクターブ下で。
そんなうたい方をしていると、
だんだん高い声が出にくくなったりして、これはまずいなと思うのだが、
まあ応援要員だからいいだろう、ということで。

みんなで合わせると、ちょっと怪しいところもあるけど、
最後あたりはなかなかのハーモニーに。
本番までまだ何日かあるので、がんばって練習しようという決意を胸に、
帰路につく青年たちだった。

しかしやっぱり、青年って若いなぁとつくづく思う。
いや、若いから青年なんだけど。
前向きでチャレンジ精神も旺盛だし、若者語とか使ってるし、
なんだかすごくまっすぐだなぁって感じがするし。

sabiもまだまだ若いと思ってたけど、やっぱり青年の中には混じれないなぁ。
ということで、今日は青年の空気だけ吸って帰りました(^^;
| うたごえ | 23:26 | comments(1) | trackbacks(0) |
芸の道はけわしい!??
今日は、声楽の個人レッスンの日だった。

sabiは2年前ぐらいから、夫のだいすと一緒に、
私たちが所属してる合唱団の先輩のところへ声楽を習いに行っている。
同じ団の先輩・後輩とはいえ、ちゃんとレッスン料も納めているし、
私たち夫婦の意識の中では、れっきとした「師匠」である。
sabiと3歳しか違わないが、合唱のキャリアは師匠のほうが十数年も上。
団の中ではNo.1の実力の持ち主だ。

sabiもだいすもまだ、声楽の基本中の基本すら十分に身につけてないというレベル。
したがって、今のところ上達のスピードは速いらしい(←本人にはあんまりその自覚はないが)。
しかし、習い始めて年数が経つにつれ、壁にぶつかるときが来るらしい。
最初のうちは目に見えてめきめきと上達するが、ある程度まで上がっていくと
いつまでもそういうわけにはいかない、ということだ。
その壁にぶつかって悩んでいる人が、団の中にもけっこういるらしい。

sabiはどちらかというと、
そこまで悩むほどうまくならなくてもいいから、いつまでも楽しくうたっていたいと思うタイプ。
ただ、あまりにも我流では合唱のときにみんなの足を引っ張ることになるから、
今のうちに少なくとも、最低限の基本は身につけておきたいなぁと。
たぶん、だいすもそんな感じかな。

でも、やり始めると欲が出てくるのも事実。
上手になったと言われれば素直にうれしいし、自分でもうたっていて気持ちがいい。
昔はアイドル歌手になりたかった(けどルックスがついていかなかった)sabiとしては、
もっともっとうまくなれたらという憧れは、やっぱり根強く自分の中に存在する。

音楽=音を楽しむ、ってよく言うけど、それってなかなか難しいなぁ。
極めれば極めるほど、苦しみが深まるわけで。
・・・そのぶん楽しさも深まるのだろうか???
まだ極めてないから、さっぱりわからない。
sabiはこれから、どんなふうに音楽をやっていくのかなぁ。
| うたごえ | 23:19 | comments(1) | trackbacks(0) |
お肌の曲がり角?
今日は一日のんびりと過ごした。
出かけたのは、皮膚科とコンビニだけ。
ゆっくり身体を休めたせいか、体調もだいぶいいみたい。

最近、腕や脚などの肌のトラブルが絶えなくて、近所の皮膚科に行っている。
どうやら細菌性のものらしい。
sabiは、これは大きな声では言えないが、
昔からしばしば白鮮菌やらカンジダ菌やらに好かれてきた経緯がある。
お医者さんの話によると、免疫力の弱い人や、乾燥肌の人などがなりやすいとか。
sabiはどちらかというと乾燥肌に近いかもしれないけど、
冬場以外はそれほどでもない。
じゃあ、いつも免疫力が弱りっぱなしなのか???
それにしては、今まで大きな病気もしたことないし。
やっぱり、お風呂ぎらいがいけないのかなぁ。

嫌いというよりは、めんどくさいというかなんというか。
忙しいときなんかは、入浴してる時間がもったいないって思ってしまう。
朝シャンもして、夜もお風呂に入る女の子たちってすごいな〜とつくづく感心。
まあいったん入ってしまえば、それはそれで気持ちいいものではあるんだけど。

うーむ。
もうちょっと人間らしい暮らしをしなきゃいけないなぁ・・・。
| 病気 | 20:33 | comments(6) | trackbacks(1) |
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