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HAPPY×2!
だいすと二人で、食○園に行って焼肉を食べてきた。
ひさびさの贅沢。
めっちゃ幸せだった〜(^^)

しかもあろうことか、
とどめにニンニクのホイル焼きまで注文してしまった♪
明日は練習もないし、まあいいか(^^; ということで。

最近忙しくて疲れ気味のだいすと、わけもなく疲れ気味のsabi。
これでPOWERをつけて、
イベント目白押しの12月を乗り切るぞ〜っ!!!
| 食い道楽・呑み道楽 | 23:00 | comments(125) | trackbacks(1) |
強迫性障害をのりこえて
外へ出ませんか―外出がおっくうな人のために
外へ出ませんか―外出がおっくうな人のために
有園 正俊

毎日放送の「ちちんぷいぷい」で、この本(↑)が紹介されていた。

著者の有園氏は、強迫性障害が嵩じて家から外に出ることができなくなり、
いわゆる引きこもりの状態が、約1年間続いたという。
その後、勇気を出して少しずつ外出を試み、
そのときの記録を日記にしたため、ブログに綴った。
これを一冊の本にまとめたものが、
『外へ出ませんか―外出がおっくうな人のために―』(文芸社、2005年)
という著書である。

初めはドアのノブに触れ、ドアを開けることから始まり、
外に出て目にした光景の一つひとつに感じたことを、
写真とともにコメントしている。
読者も一緒に街を歩いているような気分になれる、「バーチャル散歩ガイド」である。

有園氏は当初、強迫性障害という病気の存在も、
また自分自身がそうであるということも、全く知らなかったという。
外出できないからお医者さんにかかることもできないし、
家の中でその種の情報に触れる機会もなかったとのことである。

かつてのsabiもそうであった。
この病気は他の精神疾患に比べてややマイナーなのか、
マスメディアなどで取り上げられているのをほとんど見たことがない。
だから、数年前に ある本 で強迫性障害というものを知ったとき、
目からウロコの落ちる思いがしたし、光が見えてきたような気がした。
それでさっそく、sabiはその本を頼りに、
はるばる東海地方のとあるメンタルクリニックまで出かけていったのである。

しかし、そのような情報の全くない暗闇の中にいながら、
手さぐりで自分の状況を克服していった有園氏。
その精神力は、本当にすごいと思う。

また、有園氏が自分の症状として話しておられた具体例が、
sabiの現在の症状とそっくりだったことにも、非常に親近感を抱いた。

◆外を歩いていると、落とし物をしたのではないかと気になる。
◆大事なものを捨ててしまうのが怖くて、ゴミが捨てられない。

こんな症状である。

強迫性障害の症状はきわめて多岐にわたっており、まさに人それぞれである。
上記のような例は、今まで本やネットで調べた限りでは見つからなかったので、
思わずテレビの前で、「わー、sabiと一緒だぁっ!!」と声をあげてしまった。

sabiの強迫の対象は、これまでにいろいろと移り変わってきた。
例えば、職場などへの提出書類に記入ミスがないかどうか気になって、
いつまでたっても書類が出せない、とか。
同じような理由で、手紙を書くときにも何度も何度も書き直したあげく、
結局出せなくなってしまう、とか。
(もちろん、1回見直した時点でミスがないことはわかっているのだが、
それでも気になってしまうというのが、この病気の特徴なのである。)

しかし総じてsabiの場合、「もの」へのこだわりが大きいような気がする。
自分の大切なものが汚れるのがイヤで、自分でもさわれない、とか。
落とし物と似たような例だが、郵便物をポストに投函したあと、
本当にポストの中に入ったのかどうか気になって立ち去れない、とか。

有園氏がインタビューの中で、
外に出て“自然”に触れることで症状が改善することもある、と言っておられたが、
それは非常によくわかる。
自然の中にいるときって、そういうこだわりの対象の何もかもが、
なんだかどうでもよくなってくる気がするから。
ああそうか、私ってこんな小さなことにこだわってたんだな、と思うから。

この本、ぜひ一度手に取って読んでみたい一冊である。
| メンタルヘルス | 19:23 | comments(11) | trackbacks(5) |
愛するということ
愛してる。―記憶障害を乗りこえた運命の恋
愛してる。―記憶障害を乗りこえた運命の恋

すべての記憶が消えても、あなたのことだけは覚えていた ― 。
これは、本当にあった“奇跡”の恋の物語である。

“折原みとのマンガは中高生が読むもの”という一般常識(?)があるようだが、
このKCデザート「折原みと『真実の感動』シリーズ」は、
おとなの人にも十分お勧めできる内容である、とsabiは思っている。

沙紀と裕司のこの物語は、
実は、sabiとだいすの物語にも重なるところがあった。

大学に入学して、桜の花満開のキャンパスでの最初の出会い。
同じサークルで大学生活を共にして、その年の冬に恋人同士となる二人。
沙紀と裕司は同級生で、sabiとだいすは後輩・先輩の関係だったけど、
それを除けばシチュエーションがよく似ていて、sabi的には親近感を覚えた。

4年生になって、
教員採用試験にも合格し、未来への希望に胸をふくらませる沙紀。
しかしある日突然、
彼女はインフルエンザがもとで髄膜炎を起こし、脳細胞を損傷。
これまで生きてきた22年間の記憶を、すべて失ってしまう。

いや、本当にすべての記憶を失ってしまったわけではなかった。
両親のことさえ思い出せなかった沙紀は、
ただひとり、裕司のことだけは覚えていたのである。

そして二人の、病気との闘いの日々が始まる。

沙紀は教師になる夢をあきらめ、自宅で療養することになる。
記憶障害のほかに、激しい痙攣や呼吸困難の発作がたびたび起こるようになり、
外出することさえままならない。
教員の臨時採用の依頼が来ても、断りの返事をせざるをえない。

sabiもかつては中・高の教師をめざしていたが、
さまざまな経緯があって、大学教員という道に進むこととなった。
しかし、念願の就職を果たして5年目の春に躁うつ病を発病し、
それから3年後には、授業をするのが怖くなり、
仕事への意欲もなくしていって、ついには休職することになった。
これから仕事が続けられるのかどうか、非常に悩んでいるところである。

しかし、沙紀の陥った苦境を考えると、
sabiなんかまだまだ甘えてるほうだよな、と思ってしまう。

沙紀と裕司は、お互いに支えあいながら少しずつ前に進んでいき、
どんなことがあっても決して離れなかった。
そして、出会って6年目の秋に、二人は結婚式を挙げる。

sabiが子どもを産めないのと同じ理由で、
沙紀もまた、子どもを産むことはあきらめていた。
彼女は発作を予防する薬を服用しており、
妊娠すれば、胎児への影響を考えて、薬をおさえなければならない。
しかし、薬をおさえたせいで妊娠中に発作を起こせば、
おなかの子どもや母体が危険な状態に陥る可能性が高いのだという。

それを承知で、沙紀と結婚した裕司。
本当に心底、彼女のことを愛しているのだろうな、と思った。
子どもを持たない夫婦が増えてきている昨今ではあるが、
まだまだ周囲の理解を得ることは難しい現状である。
ましてや、ほしくてもそれが望めないというのは非常にせつないものである。

しかし、沙紀はやがて、
やっぱり裕司との子どもを産みたい、
少しでも可能性があるならがんばってみたい、と決意する。
前向きだなぁ。
これが若さというものなのだろうか。
ぜひこの夢が叶うよう、sabiも心から祈っている。

実はこれまでsabiは、
“この世の中でいちばん愛し合ってる夫婦は、sabi&だいすに違いない!”
と思っていた。
しかし、このマンガを読んで、
“もしかしたら、sabiたちは世界で2番目に愛し合ってる夫婦かも・・・ ”
と、今は思っている。
| 本・映画など | 12:33 | comments(8) | trackbacks(0) |
危機感@練習
今日は、ピースコンサートの練習日。
やはり今のところ、全体の仕上がりはきわめてよくない。
先週よりは若干いいかな、と思えるような局面もあるにはあったが。

そしてついに、土曜日の「みつばち合唱団(仮)」の練習時間の一部を、
ピースコンサートの練習に充てることが決定された。
うちの団員だけが練習して、どうこうなるようなレベルなのだろうか・・・
とも思うのだが。

一応、団員以外の人にも参加を呼びかけてはいるものの、
実際に参加可能な人はそんなにいないと思うし、
もしも大勢来てしまったら、とてもじゃないが練習室に入りきらない。

しかも、「みつばち合唱団(仮)」の団員の中には、
ピースコンサートに出演しない人も何人かいる。
そういう人たちにとって、
今度の練習は来づらい(居づらい)ものになってしまうのではないだろうか。

いろいろと、不安材料は増えるばかりである。
| うたごえ | 23:53 | comments(6) | trackbacks(0) |
きょうの演奏@九条の会I町のつどい♪
今日は、I町で九条の会の集会が行われる日である。

前述のように、「みつばち合唱団(仮)」は、
この集会のオープニングで演奏をしてほしいと招かれた。
それはありがたいことではあるのだが、
今日は日程的に都合のつく団員が非常に少なく(全体の半数以下)、
一時は辞退させてもらおうかという話も出たぐらい。

かつ、I町は多くの団員にとってはけっこう遠いところに位置している。
I町にもうたごえのサークルがあるのに、なぜわれわれに頼むのだろう?という
疑問の声もあったが、
おそらく地元のサークル員たちは九条の会の運営で忙しいのだろう、という
好意的な見解もあって、
結局、今回の演奏依頼は引き受けようということになった。
このように、少々無理をしてでも出かけていってしまうのが、
うちの合唱団の性(サガ)なのである。

sabiにとっての今日の最大の不安は、
わが師匠Iさんが、この演奏に参加していないということであった。

Iさんは、
「みつばち合唱団(仮)」でNo.1の実力の持ち主というだけでなく、
今や日本のうたごえ界においても、屈指の歌い手である。
うちの合唱団が対外的な演奏活動をするときには、
いつも必ずIさんがいて、
実務面でも演奏面でも、みんなをリードしてくれている。
しかし今日は、体調がすぐれず(特にのどの調子が悪くて)、
欠席するとのことなのである。

sabiにとって、(「なのはな合唱団(仮)」などでの演奏を除けば)
Iさんのいない演奏は、おそらく今回が初めてである。
しかも、昨日のあの悲惨な出来事のこともあって、
もう、心細いことこのうえない。

昨夜遅く、sabiはIさんにメールを出した。
どうかくれぐれもお大事に、ゆっくり休んでください、ということ。
そして、練習で指摘されたことの打開策について、
何かアドバイスをお願いします・・・ と。

すると、こんな返信がかえってきた。(一部脚色あり)

| 演奏に行けなくなってごめんね。
| あまり自分を追い詰めないようにね。
| わたしらはまだまだ未熟で発展途上なのだ!
| そして結局ソプラノはいちばん難しいのだ!
| まっ所詮言い訳だけどね f^_^;
| 問題解決は一晩じゃ無理だろうし、気に病んでも良いことは少ない。
| 身体を解放すべく、精神の解放に心掛けるしかないでしょう。
| 声を出す前に美しく息をとること。頭のてっぺんから足の裏、手の先まで。
| そうして充実した気持ちで心優しく歌えばいい。お芝居でもしているつもりで。
| 歌声だけにとらわれない方がいい。歌は全身の状態が大切だから。
| 健全な肉体と精神から発する声を目指そう。
| そのためによく集中すること。萎縮しない。してる暇はないのよ。
| わたしからは以上、すべてわたしにとっての真実です。
| では、明日はみんなに任せておやすみなさい(-_-)zzz


(__) (__) (__) (__) (__)

さすがIさん・・・。

たぶん、sabiは雑念が多すぎるのだろうと思う。
「みつばち合唱団(仮)」という名前で演奏する以上、
ふだんに比べて遜色があってはならない、という妙なプレッシャーを感じたりして、
ついつい、“うまくうたわなければ・・・” という気持ちになる。
でも、それでは自分を解放できないのである。
本番では歌のことだけ考えよう、とsabiは思った。

そして、なんとか本番が終わった。

sabi的には昨日の練習よりも、本番のほうがうまくいったように思う。
自分自身に関してだけでなく、演奏全体の出来を考えてもそう感じた。
団のみんなも、
全体的によく揃っていた、パートバランスもよかった、と言い合っていた。
やはり聴衆の方々が入ると、集中の度合いが違うのだろうか。
狭い会場ではあったが、満席で、皆さん一生懸命聴いてくださっていて、
それに励まされたsabiは、もはや心細さなど感じることはなかった。

終了後、Iさんに報告と感謝のメールを送ると、
以下のような返信がかえってきた。

| ごくろうさま。今日のところは一歩前進かな(^v^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Iさん、ひょっとしたら、実はsabiたちを鍛えるために・・・・・・!???

ちなみに、
地元のI町にある例のうたごえサークルのメンバーだが、
受付その他で忙しく立ち働いていた人が2〜3人、
その他ほとんどのサークル員たちは、たんなる聴衆であった。
じゃあ、なんでわれわれに演奏を頼んだのだろう・・・・・・????

終了後は、
今日も記念講演の講師を務めたKさんと、Moちゃんと、
sabi&だいすの4人で、
河辺の紅葉を見に行ったり、Moちゃんの運転で怪しげな峠越えをしたり、
沖縄料理のお店で美味しく呑み食いしたり、カラオケで大爆発したりした。

いろいろあったが、総じて今日は楽しい一日だった、ということで。

【きょうの演奏曲】
・日本国憲法第九条(外山雄三)
・うたごえよ 高らかに(池辺晋一郎)
・ねがい(安広真理)
・海はふるさと(王立平)
| うたごえ | 23:51 | comments(3) | trackbacks(1) |
悲惨な練習(T-T)
今日は、「みつばち合唱団(仮)」の練習の日である。

最近うちの団では、不定期ではあるが、
声楽家のU先生をお招きして、練習の時間内で団員にボイストレーニングを
していただいている。
今日はそのU先生が来てくださる日でもあり、
sabiはすごく楽しみにしていた。
しかし、まさかあんな悲劇が待っていようとは・・・。
(まあ客観的に見れば、そこまで言うほどの悲劇ではないのだろうが。)

U先生の指導は、今回もわれわれにとって非常に有意義なものであった。
詳細は省略するが、
例えば、和音(コード)の特徴によって声の音色を変えるということなど、
sabi的には大いに勉強になった。

練習の前半はそれで終了。
明日もまた集会での演奏があるので、後半はその演奏曲の練習に充てることとなった。

ここで恐ろしい事実が発覚する。
なんと、明日の演奏に参加できるソプラノの団員が、
sabiとMoちゃんの2人だというのである。

うたごえ歴の浅さでは、団内で何本かの指に入るというこの2人。
あわてふためいたことは言うまでもない。
しかし、そうなってしまった以上、
今日はがんばって練習に励むしかないのである。

sabiも、Moちゃんも、真剣にがんばった。
そして最後の練習曲、「日本国憲法第九条」。
sabiが最近、ソプラノの発声のしかたが難しくて非常に悩んでいる曲である。
http://sabi-see.jugem.jp/?eid=31

この曲については、たぶん指揮者としても心配だったのだろう。
「パートバランスを聴きたいから、明日の演奏に出る人だけでうたってみて。」
と言われた。
しかも、なぜか本番さながら、みんなの前に整列してうたう羽目に。
sabiとMoちゃんは、緊張の極地である。
もしかすると、明日の本番以上の緊張を強いられる局面だったかもしれない。
これでいい声が出せるほど、sabiの心臓は強くないのである。

で、うたい終わって、
案の定U先生から、ソプラノの発声のまずさを指摘された。
「のどがきゅっと狭くなってるような感じの声」なのだそうだ。
自分でも思っていた通り。
なんだか、うたい進むにつれて、
重心が上へ上へと浮き上がっているような気がするのである。

すると、ソプラノのある人が、
「いやぁ〜、人のを聴いてたらよくわかるわぁ。」とひとこと。
隣のソプラノの人も、「そうや、そうや。」と同意。
・・・・・・そんなにひどかったのか・・・・・・。

練習が終わってからも、いろんな人たちが、
「ホント、人のを聴いてたらよくわかるわねぇ。」と口々に言っていた。

  じゃあ、わからないのは私たちだけなんですか〜!?
  そもそも私たちって、
  みんなの勉強のための実験台だったんですか〜!?

いつも他人の発言には好意的なだいすも、
「ソプラノ2人で明日演奏しようという人へのはなむけの言葉としては、
ちょっとひどいなぁ。」と、感想をもらしていた。

sabiはひたすら落ち込んで、
帰る道すがら、「憂鬱だぁ〜。憂鬱だぁ〜。」とひとりごちていた。
| うたごえ | 23:51 | comments(8) | trackbacks(0) |
「緋の十字架」と『田園交響楽』
田園交響楽

田園交響楽
田園交響楽
ジッド, 神西 清

ひさびさに、文学作品を読んだ。
アンドレ・ジッドの『田園交響楽』(新潮文庫)である。
彼の代表作といわれる『狭き門』すら読んだことのないsabiがこの本を
手に取ったのは、
この作品が、月〜金13時30分からの昼ドラ「緋の十字架」の原案だからである。
そう、sabiは最近、「緋の十字架」にハマっているのである。

同じ時間枠で、このドラマが始まる前に放送されていた「契約結婚」にも、
sabiはハマっていた。
途中から見始めたため、実はストーリーもあまりよくわかってなかったりするのだが、
なぜか一生懸命見てしまった。

で、「契約結婚」が大団円の最終回を迎えた時点で、
sabiは“もう昼ドラはいいや”と思い、翌週から始まった「緋の十字架」は
見ないことにした。
しかし、「笑っていいとも!」を見て(←いや、別に見なくてもいいのだが)、
その流れで「ごきげんよう」を見て(←いや、別に見なくてもいいのだが)、
チャンネルをそのままにしておくと、
ついつい、「緋の十字架」を見てしまう羽目になるのである。
そしてある日気がつくと、どっぷり浸かっていたというわけである。

ジッドの『田園交響楽』は、
盲目の少女が牧師に拾われて育てられ、やがて牧師と愛し合うようになるが、
開眼手術が成功したとたん、少女は川に身を投げてしまう ― というストーリー。
彼女は目が見えるようになって、
牧師の妻の苦悩と憎悪を目の当たりにするとともに、
自分が本当に愛していたのが牧師ではなく、彼の息子であったことに気づくのである。

sabiはその道の専門家でないのでわからないのだが、
未だかつて世界に存在する何ものをも見たことのない人が、
人間というものの姿形を、自分の中でどのようにイメージするのか。
また、初めて目にした他者の姿がどのように映るのか。
その結果、相手の現実の姿に失望したりすることがあるのだろうか。
・・・謎である。

また、この作品を読むにあたっては、
宗教的背景についても知っておいたほうがいいのかな、とも思った。
sabiはカトリックとプロテスタントの違いもよくわからないし、
聖書の中の言葉が引用されていても、それが何を言わんとするのか、
いまひとつ理解できなかったので。

昼ドラの「緋の十字架」は、
ジッドのこの作品を、昭和17年以降の日本を舞台としたストーリーに
翻案したものである。
オリジナルな部分が多くを占めているため、
『田園交響楽』は「原作」とはされておらず、あくまで「原案」である。

現在、話は昭和43年あたりまで進んでいて、
純粋でけがれを知らなかった薫(詩織)は、
いまや信じられるものはお金だけという、復讐の鬼となってしまった。
目が見えるようになり、一人で世の中に出て行ったことで、
世間には醜いものや汚いものがたくさんあるという現実を知ったのである。

彼女は、元の清らかな心を取り戻すことができるだろうか?

「清らか」=「何も知らない」、ということではないとsabiは思う。
よく「子どもは純粋だ」と言われるが、
純粋な心を持つ大人だって、本当はたくさんいるはずである。
それは誰だ、と訊かれると困るのだが。
| テレビ | 10:35 | comments(9) | trackbacks(0) |
ちょっとムカつくピザ屋さん
ひさびさに、ピザの宅配を電話で頼んだ。

わが家の注文先のお店は、いつもピ○○○と決めてある。
sabiは比較的最近入っていたチラシを見て、
チラシの表側に載っている「エビマヨビンゴ」に非常に惹かれ、
これを注文することにした。
秋限定でドリンクがついてくるようなことが書かれていたので、
秋の特別メニューなのかな?とも思ったのだが、
はっきりそうとは書かれていないし、
そもそも秋が終わったのかどうかも定かではないので、
一か八かということで、とりあえず言うだけ言ってみることにした。

「ご注文をお願いします。」
「はい。まず、エビマヨビンゴのLサイズと・・・」
「あ、申しわけありませんが、エビマヨビンゴはもう販売を終了してるんですよ。」
やっぱりそうかぁ。残念だ。
「そうですか。じゃあそれでしたら・・・」
と、sabiはチラシの裏側を見て、
「ピ○○○エビマヨと・・・」
と言いかけると、
「だ・か・らぁ〜、エビマヨはもう終わってるんです!」
と、あきれたような口調の答えが返ってきた。

sabiは、自分がよっぽどヘンなことを言ったのかと思って、
チラシをもう一度よく見てみたのだが、
「ピ○○○エビマヨ」は通常のメニューの一つとして載っていて、
特に秋限定などという注意書きがあるわけでもない。

さっぱりわけがわからなかったので、とりあえず、
「エビマヨビンゴと、ピ○○○エビマヨって同じものなんですか?」
と聞いてみた。(もちろん、そんなはずがないことはわかっていたが。)
すると、
「同じものではないのですが、エビマヨ自体がもう終わってますので。」
という返答。

つまり、エビマヨという名の付くものはすべて(といっても、その2つしかないのだが)、
秋限定の特別メニューであり、
かつ、秋はすでに終わっていた、というわけなのである。

しかたがないので、今回は別のピザを頼んでお茶をにごすことにしたが、
電話を切ったあと、チラシのすみずみまで読んでみても、
そういうことはどこにも書かれていない。

もちろん、メニューを変更するのはお店の自由だし、
エビマヨが食べられなかったこと自体を云々するつもりは全くない。
sabi的には、店員さんの“ものわかりの悪い人”を相手にするような応対ぶりに
カチンときたのである。

しかも、ちょっと前のブログにも書いたように、
何かにつけて“自分は頭も悪いし・・・”と思ってしまう、
自己肯定感ゼロ(>_<)状態のsabiである。
とにかく、自分にはそれほど落ち度がないということを確認して、
「あの店員さんムカつく〜ぅ!!」とだいすに訴えることで、
今回は自分の頭が悪くてこうなったわけではない、と自分に言い聞かせるしか
ないのである。
ピ○○○め。まったく。
| あれやこれや | 23:12 | comments(9) | trackbacks(0) |
もう練習の日かぁ・・・
22日・23日と練習がなくて、ちょっと解放感にひたっていたら、
今日はもう次の練習がやってきた。
「なのはな合唱団(仮)」の練習日である。

12月に大きな演奏を控えているため、
新しい歌い手の人や、過去にこの演奏曲をうたったことのある人が、
たくさん来てくれている。

アルトが足りなくて困っていたのだが、
ついに今日の練習で、アルトの人数がソプラノを凌駕した。
本番のステージに立つ人数も、
今のところ、ソプラノとアルトはほぼ同数であると予想されている。
素晴らしい!!!\(^O^)/

しかし、声のボリュームでは、どうしてもソプラノにはかなわない。

ソプラノのメロディーのほうが(多くの人にとっては)音がとりやすく、
アルトの人はいまいち自信なさそうにうたっているし、
アルトの声の高さでは、どんなに声を張りあげたところで、
それほどの声量になるわけではない。
加えて、ソプラノの人たちの声がかなり地声に近く、
カーンとしたまっすぐな声(響きでうたっていない)の人が多いため、
他のパートの声をかき消してしまうのである。

かといって、「ボリュームを落として」と指示されると、
ソプラノは貧弱になってしまうというか、
ただ小さいだけの、やせた声になってしまう。
しかも、なぜかピッチも低くなる。
う〜ん。どうしたものか。

sabiは、本当はいつかソプラノに帰りたいという野望があるのだが、
やっぱりそうもいかないなぁ。
12月の演奏が終わったら、
アルトの人数もまた4人ぐらいに戻ってしまうんだろうし。
非常に荷が重い、今日このごろである。

しかし、今日のように大勢でうたうのはやっぱり楽しい。
本番まであと1〜2回しか練習はないが、
せめてその間だけでも、この状況を大いに楽しむことにしよう。
| うたごえ | 22:49 | comments(0) | trackbacks(1) |
自己肯定感ゼロ(>_<)
昨日、神戸からの帰りに、
Kさん、Moちゃん、sabi&だいすの4人で、大阪の居酒屋に行った。
ビールと日本酒の品揃えが非常によく、料理も美味しいので、
われわれのお気に入りのお店である。

昨日の話の主題(?)は、
Moちゃんの人間関係の悩みについてだったのだが、
sabiは自分のうかつな発言で、だいすに何度か叱られて、
すごく悲しくなってしまった。

「うかつな発言」の一つは、
第三者から聞いた話を再現するときに、
話の筋のとんでいる部分を、自分の推測で補充してしまったということ。
もう一つは、
自分が心の中で思っている結論を言わないで、
そこに至るまでの過程で、否定的な内容の発言(「無理だ」「しんどい」など)を
繰り返してしまい、誤解を招いたということ。

sabiはだいすに叱られて、
“自分は頭も悪いし、なんのとりえもないダメな人間なんだ”と思ってしまった。
アルコールが入っていたせいもあるのだろう。
悲しくて悲しくて、泣き出してしまった。
sabiみたいに頭の悪い人間は、大学教員なんか辞めたほうがいい、
こんな仕事をしているばっかりに、頭が悪くていろいろとひどい目に遭って
きたじゃないか、と。

sabiは基本的に、お医者さんからアルコールを禁止されている。
ごく最近までそのことをみんなに言っていなかったため、
いつも一緒に呑んでいるKさんからは、非常にびっくりされてしまったのだが。
sabiの服用している薬が、アルコールとはきわめて相性が悪いのである。
アルコールの作用が強く出過ぎてしまうのか、
あるいは薬が効かなくなるのか、そのどちらかだったと記憶している。
(おそらく、その両方なのではないかと思っている。)

でもお医者さんは、
sabiから完全にアルコールを奪うのは逆にストレスになるだろうし、
呑んで楽しい気分になることが治療に役立つ可能性もある、といって、
ほどほどだったら呑んでもいいですよ、と許してくれている。
ただしあくまでも、「ほどほどに」である。
sabiがそれを守っているかどうかは、定かではない。

昨日のsabiは特に酔っぱらっていたわけではなく、意識も記憶もしっかりしていた。
ただ、そのときは自己否定の思いにさいなまれ、
ものすごく気持ちが激昂してしまったのである。
それがアルコールの作用によるところが大きいことは、否定できない。

みんなに不愉快な思いをさせてしまったなぁ、と、
またあとから落ち込んでしまった。

“ダメ人間”という意識は、基本的にsabiの中にはいつもある。
それだけに何かにつけて、“少しでも他人の役に立ちたい”という意識も強い。
Moちゃんの悩みについて一生懸命考えることで、
sabiは自分の“役に立ちたい”的な願望を満たそうとしていたのかなぁ。
(自分では、そんなつもりは全くないのだが。)
で、それが否定されて、ショックを受けたのかもしれない。
自分は役に立たないダメな人間なんだ、と。

「自己肯定感」というタームを濫用するのは、sabi的にはあまり好きではない。
しかし、実際問題としてsabiに自己肯定感が欠けていて、
それをなんとかしないといけないのも事実。

子どもの場合は、まず親やまわりの人に愛されることが大切だというが、
sabiは現時点において、愛が足りないとも思えない。
やっぱり、子どもの頃からの人格形成の過程に問題があったのか?
今からでもまだ間に合うのだろうか。
| メンタルヘルス | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
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