2006.11.30 Thursday
つけたし:団内音楽会の感想文!?
11月23日の、 「みつばち合唱団(仮)」 の団内音楽会が終わってから、
sabiは、ある短い文章をしたためた。
団の機関紙に、投稿しようと思ったのである。
しかし、だいすに原稿を見せたところ、
「もうちょっと寝かせておいたほうがいいんじゃない?」 と、言われた。
sabiが 「なんで?」 と聞いたら、
「いまはまだ、昂揚した気分が残ってるからいいかもしれないけど、
あとで読み返したら、きっと恥ずかしくなるだろうから。」 と、だいすは答えた。
そのときは、あまりよく意味がわからなかった。
“sabiが恥ずかしくなるなんて、どうしてわかるんだ?? sabiでもないくせに。”
と、不思議に思った。
でも、言われるがままに、しばらく寝かせておいて、
ずいぶん経ってから読み返してみた結果、
だいすの言わんとしていたことが、非常によくわかった‥‥(-_-;
いまとなっては、データごと粉々にして捨て去りたいような気もするが、
まあ、それもどうかと思うので、記念としてここに載せておく。
10年後ぐらいに読み返したら、また、どんなふうに感じるかわからないし。
というわけで、以下がその原稿。
※ 文中の 「○△×□」 には、わが県の名前が入ります。
※ 合唱団の名前のところは、
「団」 もしくは 「『みつばち合唱団(仮)』」 としておきました。
--------------------------------------------------------------------------------
涙の言い訳と感謝
by さびしんぼう
11月23日。 来年の今日が○△×□のうたごえの人たちにとって “特別な日”
であるのと同様、今日は私にとって “特別な日” だった。
23日の団内音楽会が終わったら、私は 「みつばち合唱団(仮)」 の活動を
1年間休止しよう。そう決めていたのである。
心の病気という足かせを抱えている私には、祭典へ向けての準備と、団の活動
との両立はもう限界に来ていて、すでに多くの人に迷惑をかけはじめている。
このままではいけない。そう考えての結論であった。
団内音楽会での、本番のステージ。 悔いのないようにいい演奏をしたい。
しかし、気負いが強すぎたせいか、身体も声帯も閉まってしまい、思うように声が
出ない。スポーツ選手と同じで、精神力を鍛えるのも大切だなと、あらためて実感
する。
最後の演奏曲、たかだりゅうじさんの 「ねがい」 。 いろいろな意味で、私にとっ
ては “特別な曲” である。
イントロ、そして1番。 男性3人のいい声についつい聴き入ってしまい、思わず
舞台人としての立場を忘れてしまった。
19歳の頃、だいすの影響で “うたはたたかいとともに” の思想を刷り込まれ
(?)、 なぜか○○年後 (←原文のまま) 、 ○△×□という地で 「みつばち
合唱団(仮)」 と出会うことになった私。 しかし、そんな高邁な思想だけで、今日
までやってこられたわけではない。ここにつどっている団の仲間たちと、一緒に
笑ったり泣いたり怒ったり、酔っ払ったり語らったり。 悩みながらもたくさんの人
に支えられ、楽しくたたかってきたのである。
そしてこれからも、そのたたかいのあゆみは続いていくだろう。 私にとって
「ねがい」 は、そういう決意をこめた演奏曲だった。
‥‥はずなのに‥‥‥‥。
なぜか涙がこぼれて止まらない。 不覚である。
舞台人としては最低。
1年間という月日。 それはあっという間に過ぎるのか、それとも、気の遠くなる
ような長い時間なのか。 しかし、いずれにしろ来年の11月25日、私たちは打ち
上げで大いに呑み、大いにうたい、祭典の大成功を祝っていることだろう。 そして
私は、団のみんなに、笑顔で 「ただいま」 を言うだろう。
私にとって、心からそれを信じさせてくれる存在である 「みつばち合唱団(仮)」
の仲間たちに、この場をお借りして、心からの感謝を捧げたい。
--------------------------------------------------------------------------------
‥‥‥‥まったく。
もう勘弁してくれと言いたいほど、 “イタい” 原稿である。
じんましんが出そう。
(2007.02.14 記)
sabiは、ある短い文章をしたためた。
団の機関紙に、投稿しようと思ったのである。
しかし、だいすに原稿を見せたところ、
「もうちょっと寝かせておいたほうがいいんじゃない?」 と、言われた。
sabiが 「なんで?」 と聞いたら、
「いまはまだ、昂揚した気分が残ってるからいいかもしれないけど、
あとで読み返したら、きっと恥ずかしくなるだろうから。」 と、だいすは答えた。
そのときは、あまりよく意味がわからなかった。
“sabiが恥ずかしくなるなんて、どうしてわかるんだ?? sabiでもないくせに。”
と、不思議に思った。
でも、言われるがままに、しばらく寝かせておいて、
ずいぶん経ってから読み返してみた結果、
だいすの言わんとしていたことが、非常によくわかった‥‥(-_-;
いまとなっては、データごと粉々にして捨て去りたいような気もするが、
まあ、それもどうかと思うので、記念としてここに載せておく。
10年後ぐらいに読み返したら、また、どんなふうに感じるかわからないし。
というわけで、以下がその原稿。
※ 文中の 「○△×□」 には、わが県の名前が入ります。
※ 合唱団の名前のところは、
「団」 もしくは 「『みつばち合唱団(仮)』」 としておきました。
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涙の言い訳と感謝
by さびしんぼう
11月23日。 来年の今日が○△×□のうたごえの人たちにとって “特別な日”
であるのと同様、今日は私にとって “特別な日” だった。
23日の団内音楽会が終わったら、私は 「みつばち合唱団(仮)」 の活動を
1年間休止しよう。そう決めていたのである。
心の病気という足かせを抱えている私には、祭典へ向けての準備と、団の活動
との両立はもう限界に来ていて、すでに多くの人に迷惑をかけはじめている。
このままではいけない。そう考えての結論であった。
団内音楽会での、本番のステージ。 悔いのないようにいい演奏をしたい。
しかし、気負いが強すぎたせいか、身体も声帯も閉まってしまい、思うように声が
出ない。スポーツ選手と同じで、精神力を鍛えるのも大切だなと、あらためて実感
する。
最後の演奏曲、たかだりゅうじさんの 「ねがい」 。 いろいろな意味で、私にとっ
ては “特別な曲” である。
イントロ、そして1番。 男性3人のいい声についつい聴き入ってしまい、思わず
舞台人としての立場を忘れてしまった。
19歳の頃、だいすの影響で “うたはたたかいとともに” の思想を刷り込まれ
(?)、 なぜか○○年後 (←原文のまま) 、 ○△×□という地で 「みつばち
合唱団(仮)」 と出会うことになった私。 しかし、そんな高邁な思想だけで、今日
までやってこられたわけではない。ここにつどっている団の仲間たちと、一緒に
笑ったり泣いたり怒ったり、酔っ払ったり語らったり。 悩みながらもたくさんの人
に支えられ、楽しくたたかってきたのである。
そしてこれからも、そのたたかいのあゆみは続いていくだろう。 私にとって
「ねがい」 は、そういう決意をこめた演奏曲だった。
‥‥はずなのに‥‥‥‥。
なぜか涙がこぼれて止まらない。 不覚である。
舞台人としては最低。
1年間という月日。 それはあっという間に過ぎるのか、それとも、気の遠くなる
ような長い時間なのか。 しかし、いずれにしろ来年の11月25日、私たちは打ち
上げで大いに呑み、大いにうたい、祭典の大成功を祝っていることだろう。 そして
私は、団のみんなに、笑顔で 「ただいま」 を言うだろう。
私にとって、心からそれを信じさせてくれる存在である 「みつばち合唱団(仮)」
の仲間たちに、この場をお借りして、心からの感謝を捧げたい。
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‥‥‥‥まったく。
もう勘弁してくれと言いたいほど、 “イタい” 原稿である。
じんましんが出そう。
(2007.02.14 記)