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中3少女父親刺殺事件に思う(その2)
前記事、 「中3少女父親刺殺事件に思う」 にかかわって、
専門家の方から、貴重なコメントをいただいた。
http://sabi-see.jugem.jp/?eid=616#comments

コメントしてくださった方のブログを、さっそく見に行った。
「覚醒障害」 をキーワードとして、この事件について説明している2つの記事は、
きわめて説得力のある内容で、sabiとしては、腑に落ちるところが大きかった。
下記のリンク先の記事である。

粂 和彦のメモログ
  覚醒障害?中学3年生が父親を刺殺
  http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_522a.html
  覚醒障害2: 寝ぼけと殺人
  http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_7b43.html

もし、この仮説が正しいとするならば、
マスコミの報道は、日を追うごとに見当はずれな方向へ行ってしまっていると、
言わざるをえないだろう。

特定の記事をあげつらうのは好まないが、
たとえば、某S社のニュースサイトの報道記事。(2008.7.20 11:55)
 「父親に 『勉強しろ』 といわれ、反感があった」
 「 『勉強しろ』 といわれて 『はい』 と言う以外、会話はあまりなかった」
という少女の供述をメインに掲載し、
記事の末尾を、下記のような文章で締めくくっている。
--------------------------------------------------------------------------------
その一方で、「父親を特別に憎んでいたわけではない」 とも話しているという。
事件当初は 「お父さんが家族を殺す夢を見た」 などと 不自然な話 をする
場面もあった。             (注:太字による強調は引用者sabi)
--------------------------------------------------------------------------------

こんな形で、少女のことばが切り捨てられてしまうのは、あまりにも悲しすぎる。
真実がどこにあるのか、いまだ明らかでない現時点において、
記者の主観によってこのような表現がなされ、
それがまことしやかに流布されるというのは、sabi的には非常に許しがたい。

ここしばらく、立て続けに、信じられないような大事件が起こっていて、
マスコミは、それらを追いかけるのに大わらわといった様子である。
こうした時世の中で、あらためて、マスコミの姿勢が問われているように感じられる。


JUGEMテーマ:ニュース
| ニュース | 10:51 | comments(504) | trackbacks(108) |
中3少女父親刺殺事件に思う
埼玉県川口市で、中学3年の少女が父親を刺殺した事件。

「親に 『勉強しろ』 と言われてうっとうしく感じたことがある、と供述した」 とか、
「猟奇的殺人の場面が描かれたコミック(ひぐらしのなく頃に?)を読んでいた」とか、
断片的な情報はあれこれと出てくるものの、
なんとなく無理やり感があるというか、
本質がそこだという決め手としては受けとめがたく、
なんとも不思議な、やるせない思いで、この一連の報道を見ている。

少女が学校の追試験を無断で欠席し、親もそのことを知らなかったという一件には、
sabi的には、引っかかるものを感じたのだが……。
追試を受けざるをえないような成績をとったことが、
少女の心にどのように響いていたのか、それは全くわからないけど。

少女と父親 (家族) との間の距離感も、微妙な感じでつかみにくい。
「うまくいっていると思っていた」 という母親。
「父親とはあまり会話はなかった」 という少女。

そして、何よりも不思議な感じがするのは、
この事件が、きわめて突発的なものとして起こったらしいということ。

「父親が家族を殺す夢を見た」
「目覚めた瞬間に、刺そうと思いついた」
「大変なことをしてしまった」
「父親を特別に憎んでいたわけではない」 ……。

午前0時ごろ自室で就寝。
午前3時ごろに目覚めた直後、台所に包丁を取りに行き、父親の寝室へ。
そのかん、ずっと起きていて機会を伺っていたというなら、まだ理解もできるのだが。

「父親が家族を殺す夢を見た」 → 「実際に父親を刺した」 という流れから、
sabiがまず連想したのは、
以前このブログに書いた、 “レム睡眠行動障害” のことだった。
しかし、これは50代以上の人に多い睡眠障害であり、
15歳の少女に、それが該当するとは考えにくい。

巷では、 “睡眠時遊行症(夢遊症)” の可能性も、指摘されているようである。
しかし、もし夢の中でしてしまったことであれば、
「目覚めた」→「刺そうと思いついた」 という意識の流れとして、自覚するだろうか?
ちょっと当てはまりにくい感じもする。

また、それとは別に、“夢と現実の一体化” ともいうべき現象もあるらしい。
目覚める直前に夢を見ていた場合、夢と現実との区別がつかなくなり、
現実の世界で、夢の続きのような行為に及んでしまうというもの。
「父親が家族を殺すなど、荒唐無稽だ」 という意識を持っている人であれば、
たぶん、夢は夢として、そのままで終わっていくのだろう。
しかし、もし、少女がふだんの生活の中で、
父親に対する不満やストレスを抱えていたとすれば、どうだろうか??
「殺られる前に殺ってしまおう」 といった精神構造に陥ってしまう可能性も、
あながち、ないとは言えないのでは???

少女の供述がすべて本当のことであるかどうかも、定かではなく、
これはあくまで、“可能性として考えられることの一つ” に過ぎない。
逆にいえば、それは、だれにでも起こりうるということ。
ある日、sabiが夢から覚めたら、だいすが血を流して倒れている……
というような事態だって、あるかもしれない。
絶対にあってほしくないけど。

いま、少女は、何を思っているのだろう。
動機やいきさつはどうであれ、
少女は、自分のしたことを、自分で認め、受けとめることができるのだろうか?


JUGEMテーマ:ニュース
| ニュース | 23:53 | comments(116) | trackbacks(3) |
ケガの功名!?
昨日(7/21)の朝、うたごえのメーリングリストで流れてきた情報で、
NHK広島主催の、「いのちのうた」 コンサート と銘打ったイベントが、
全国放送されることを知った。

ところが……。
なんと、メールが来た時点で、開始時刻まであと30分! という状況。
しかも、出かける支度をしている真っ最中。
そのうえsabiは、DVD録画のやり方を、ほんの数日前に覚えたばかり(^^;

そんなこんなで、パニックになりながらも、
あわててチャンネルを合わせ、えいっ! と録画ボタンを押して、家を出た。
( 「予約録画」 などという技術は、まだマスターしていないのである。)

一夜明けて、今日。
「撮れてるかなぁ〜♪」 と、DVDを再生してみたところ……
これは明らかにNHKではない! というのが、画面の雰囲気から一瞬でわかった。
sabiの居住地近辺で放映されている、某民放ローカル局の映像に間違いなかった。
早送りで見てみると、どうやらテレビショッピングか何かをやってるみたい。

うわぁ、失敗した〜! ショックを受けるsabi……。

……と、まあ、ここまではありがちなパターン。
ところがっ!!
その早送りの映像を、見るともなしに見ていたsabiの目にとまったのは、
ものすごくタケによく似た人 の姿だった!!

もちろん、sabiが見まちがうはずもなく、それは本物のタケだった。
最近また鬱っぽくて、情報の収集をすっかり怠っていたのだが、
タケは、「健康テレビショッピング 肝油パワーの秘密!」 という30分番組に
出演していて、
その番組は、あちこちのローカル局で、いろんな日時に放送されているらしい。

こんな偶然って、あるんだなぁ。
「いのちのうた」 が見られなかったのは残念だけど、
禍福はあざなえる縄のごとし、人間万事塞翁が馬、ということで。


JUGEMテーマ:日記・一般
| ゴダイゴ&タケ♪ | 23:19 | comments(94) | trackbacks(2) |
sabiが教育活動 (らしきもの) を見る視点って、なんだったっけ?
最近、自分たちの都合で教育活動 (らしきもの) をしてる人たちが多すぎて、
それら一つひとつについて、どのように判断し、見きわめたらよいのか、
sabiにはだんだんわからなくなってきた。
少なくとも、キャッチフレーズとか、断片的な言説だけでは判断できない。
先入観とか、思い込みとか、好き嫌いで判断してもいけない (当たり前だけど) 。

2〜3日前、あるきっかけから、
このことについて、原点に立ち返って考えてみようと思いはじめた。

かつて (広島時代) 、sabiがさまざまな研究会などで、
教育現場の先生方に突きつけられた問いの数々を、あらためて思い起こしてみた。
その中で、とりわけ重要な視点 (指針) としてsabiの中に刻み込まれた問いは、
次の3つだったように思われる。

1. どんな力をつけようとしているのか?

2. どんな関係をつくろうとしているのか?

3. 何と闘おうとしているのか?

----------
以下、少しだけ補足。
 ※ ここでは便宜上、「教師−子ども」 という書き方をするが、
    「指導者−被指導者」、「教育する者−される者」、「計画者−参加者」 など、
    ほかの言葉に置き換えてもよい。

1. どんな力をつけようとしているのか?
言い換えれば、「その教育活動を通して、子どもの中に何が残るのか?」ということ。
ただ楽しかったとか、素晴らしかったとか、癒されたとかで終わるのではなく。
できなかったことができるようになる、
あるいは、できそうだという手がかりをつかむことが期待できるか?
自らの固有の発達課題に挑むチャンスが、一人ひとりに与えられているか?
たとえば、自立する力、人とつながる力など、集団の中でしか得られないものが、
どのような形で、子どもの中に育っていくのか?

2. どんな関係をつくろうとしているのか?
ここでいう 「関係」 とは、子どもをとりまく諸関係のすべてを含む。
「教師−子ども」、「子ども−子ども」、「子ども−対象」、「子ども−社会」 など。
みんな仲よくとか、助け合おうねとか、口で言うことはたやすいけれど、
現実として、子どもの活動基盤、生活基盤そのものの構造がいびつになっていると、
そこでつくられる諸関係も、ゆがんだものとなってしまう。
どのようにして、それらの基盤を足もとから組みかえていくのか?
そして、そのことを通して、どんな関係を構築したいのか?
教師が無意識のうちに、固定的な力関係を教え込んでいる危険性はないか?

3. 何と闘おうとしているのか?
教育を志す人たちは、みんな、いろいろな野望 (?) を持っていることだろう。
「世の中にはびこる、誤った教育観を正したい!」 とか、
「国の教育政策、文科省の教育方針に、もの申す!」 とか、
「時代に流されてはいけない。寺子屋の思想に帰ろう!」 とか。
教師というよりはむしろ、われわれ研究者の側にこそ求められる視点なのだが、
こうした人たちは、何と闘い、子どもたちをどこへいざなおうとしているのか?
また、それはなぜなのか?
そして、その人たちの教育活動は、実際その目的に見合った形で行われているか?
ちぐはぐなものになってはいないか?

この3つの視点は、sabiの中では、
教育 (あるいはそれに類するもの) を考えるときの基本として、
十数年前からずーっと存在していたように思う。

いま、あらためて考えてみて、
1.2.3.のどれかが怪しいと、教育というものは、
とたんに胡散臭くなってしまうものだなぁと、つくづく実感。

自分が描いてきた教育像のどこかに、ちょっとでもかみ合わない要素が生じたとき、
ある人は、誠実にそれと向き合おうとするだろう。
また、ある人は、そこから目をそらそうとするだろう。
そして、ある人は、それを意図的に糊塗しようとするだろう。

巷にあふれる、なんだかよくわからない教育活動 (らしきもの) の一つひとつを、
見きわめるのは難しい。
しかし、“教育の多様化” が声高に叫ばれている現在、
それを見きわめようとする努力は、なおさら必要なことなのだろう。


JUGEMテーマ:学問・学校
| 教育 | 08:57 | comments(32) | trackbacks(3) |
心療内科へ
約1ヶ月(以上)ぶりに、心療内科へ行ってきた。
前回は、主治医の先生の担当日に行けなくて、他の先生に薬を出してもらったので、
早く行かなければいけないなぁ…… と、思ってはいたのだが。
だいすと一緒に行くのも、ものすごくひさしぶりである。

しんどかったり、短気になったりで、なかなか調子が安定しないことを話すと、
主治医の先生は、
「sabiさんのような、いわゆる“反応型”の鬱の人には、
いま処方しているエビリファイが、かなり効くみたいですよ。」
と、言われた。

sabiがエビリファイを処方されはじめたのは、今年に入ってからのことであるが、
これまでは、あまりにもよく効く(効きすぎる)ため、恐ろしくて、
頓服的にしか使っていなかった。
しかし、主治医の先生によると、量を減らしてコンスタントに飲みつづけることで、
双極性障害(躁うつ病)の人にも、ずいぶんと効果が期待できるらしい。

エビリファイは、錠剤としては3mgが、いまのところ最小単位である。
ところが、先生が「つい先日仕入れた情報」によると、
うつ・躁うつの人の場合は、1日あたり、1mg〜1.5mgで十分とのこと!
どうやらsabiは、たくさん飲みすぎていたのである。

「3mgより小さい錠剤はないんですよ。粉薬は、いけますか?」と尋ねられ、
sabiは、「ニガテです〜」と、正直に答える。
結局、だいすが “錠剤分割係” を引き受けてくれることで話がまとまり、
3mgの錠剤を2〜3日分として、毎日飲んでいくことになった。

総体的には、現在の処方が、sabiには合っているという感じ。
主治医の先生に、感謝、感謝である。

 ------------------------------------------------
 リーマス    200mg×3 /day
 ジェイゾロフト 75mg×1 /day
 エビリファイ  1mg〜1.5mg×1 /day
(レキソタン  不安時に : 一応、2mg×3 /day)
 ランドセン   0.5mg×1 /day
 レスリン    25mg×1 /day
 エバミール  1mg×1 /day
 ------------------------------------------------

JUGEMテーマ:健康
| メンタルヘルス | 23:59 | comments(148) | trackbacks(2) |
うたうときも葛藤中?
おそらくここ1年間ぐらいの時期に、新たに発生したと思われる、
sabiが歌をうたうときの悪いクセ。

うたっているときに、右手 (主として手首から先の部分) を動かして、
リズムをとるような動きをしてしまうのである。
どうやら、自分の中のリズムや拍が、右手の動きに出てしまっているらしい。
常時動いているというわけではなく、
特に、サビのあたりとか、曲が盛り上がっていくところなどで、
しばしばそのクセが現われる。
はっと気づいたときは止めるのだが、気がつくとまた動いてしまっている。
ひどいときには、スカートをぎゅっと握りしめて、無理やり止めることもある。

上級者の人ならともかくとして、一般的には、身体のパーツを不要に動かすと、
姿勢がくずれるし、発声につぎ込むべきエネルギーが分散してしまって、
ベストな声が出せないのだという。
動きによっては、ビジュアル的にも見苦しいし、はた迷惑にもなる。
特に合唱の場合、指揮者以外の人間がリズムをとるような動きを見せるのは、
御法度である。
これは、なんとしてでも直さなければならない。

合唱や声楽をするにあたって、
sabiは、自分の身体のムダな動きをなくすようにと、極力つとめてきた経緯がある。
しかし、身体のある部分の動きに注意を払うと、
その他の部分のことがおろそかになるというのが世の常であり、
sabiが注意を払うべき部分は、これまで次々と移り変わってきた。

合唱を本格的に始めたのは、もう、10年近く前のことになる。
ごく初期のころに、「ふだんの姿勢がよくなってきたね」 と言われたことは、
sabiとしてはかなりうれしい出来事で、いまでも記憶の中に鮮明に残っている。

そのころ新たに指摘されたのが、「顔の筋肉の動きが不自然」 という問題だった。
確かに、ステージ写真などで見ても、ものすごくヘンな顔をしている。
どうやら、鼻のわきの筋肉をつり上げようとしているらしいのだが、
明らかに不自然な表情だし、それで声がよくなっているようにも思えなかった。

その後、長い時間が流れ、いろいろな先生方から発声法を教わったり、
身体のあちこちの部分に注意を払ったりしているうちに、
なんだかよくわからないが、「顔の表情が自然になった」 と、言われるようになった。
それと同時に、上体にかかっていた不要な力も抜けてきて、
なかなかいい感じで、声が出せるようにもなってきた。

しかし、やっぱり、常にきちんとした姿勢を保っていることは難しく、
しばしば、上体が前後に揺れたり、身体の重心が定まらなかったりで、
発声が不安定になる、ということが起こる。
そして、身体をまっすぐに保とうと、注意を払えば払うほど、
冒頭で述べた最新のクセ(?)、「右手を動かす」 という現象が生じるのである。

たとえ、曲のリズムに乗っているとはいえ、
これは心理的には、いわゆる “貧乏ゆすり” に類するものかもしれないと、
sabiは思っている。

“貧乏ゆすり” は、
心理的葛藤などからくる不安や緊張の高まりを解消しようとして無意識的に行う、
ある種の防衛規制である、と言われている。
身体の一部を動かすという行動によって、人は無意識のうちに、
さまざまな葛藤から自分を解放し、心のバランスを保とうとしているのである。

合唱でうたっているときに、さほど緊張しているつもりはないのだが、
それでもやっぱり、ある程度の不安や緊張感がともなうことは否めない。
あるいは、身体を一定の状態で維持しようとすること自体が、
ストレスになっているのかもしれない。
あらためて、sabiはまだまだ未熟だなぁと、つくづく思う。

合唱以外でも、これと同じようなことは、
sabiが大学生のころ (その後も続いたが) 、すでに起こっていた。
人前で話をするときに、“右手で髪をかき上げる” という現象である。
それも、ものすごく頻繁に。
自分でも病的なものだとわかっていたので、
やめようという努力もしたし、だいすもいろいろと協力してくれたのだが、
いくらがんばっても、その当時は全く直らなかった。
おそらく、人前で話すという行為にともなうストレスは、
sabiにとっては、並たいていのものではなかったのだろう。

今日は、「労働者のうたごえ合唱団(仮)」 で演奏に出かけたのだが、
その本番の直前に、
sabiが右手を動かす件について、仲間から初めて指摘を受けた。
やはり、指揮者以外の人の動きが目に入るのは、演奏者としてはつらいのである。

sabiは、“これを機会に、絶対直す!” と心に誓い、仲間にもそう誓った。
もしかしたら、動かさないことに意識を向けすぎると、
うたうこと、演奏そのものへの集中を欠いてしまうかもしれない。
しかし、いまは、多少はそうなってもしかたがない。
いずれ必ず直さなければならないことであれば、早いほうがいい。
いま、無理やりにでも自分の最大の課題として掲げて、いつも忘れないでいよう。
そう決めてしまうと、なんとなく肝がすわってきた。

本番では、なんとか最後まで、右手の動きを抑えることができた。
指摘してもらったことに感謝。

これからも、こうしたいろんなことを積み重ねていって、
いつかは、
心身ともにすっかり解放されて、自由な状態でうたえるようになりたいなぁ。


JUGEMテーマ:健康
| うたごえ | 23:48 | comments(32) | trackbacks(2) |
医学論文で研究倫理をめぐる虚偽記載 ― 東大医科研
まさに絶妙なタイミングで、このニュースを目にしたという感じである。

東京大学医科学研究所、分子療法分野研究室 (東條有伸教授) がかかわった
医学論文において、
研究倫理に関する虚偽記載が繰り返されていたことが、
朝日新聞の調査でわかったという。

その虚偽記載の内容としては、以下の2点があげられている。
  ◆血液など(白血病細胞)の検体の使用について、患者から文書で同意を得たと
   記載されているが、実際は、一部の患者からしか同意をとっていなかった。
  ◆倫理審査委員会の承認を得たと記載されているが、
   実際は、承認どころか、倫理審査の申請もしていなかった。

「倫理委承認」「患者が同意」と偽り3論文 医科研教授
http://www.asahi.com/national/update/0710/TKY200807100371.html

国補助の研究でもうそ 報告書、患者同意得ず 虚偽論文
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200807110201.html

外部調査委を設置、関係者の処分も 東大虚偽論文
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200807110182.html

( ↑ ここでは、本来のニュースソースである、朝日新聞の記事のみを掲げておく。)

患者の身体にかかる負担や、個人情報保護の問題などといった要因を考慮して、
現在では、
細胞や血液の検体を使用する研究において、上記の2点を遵守することは、
国際ルールとなっているそうである。
2003年7月に厚生労働省が定めた、「臨床研究に関する倫理指針」 においても、
研究機関の倫理審査委員会が事前に研究計画書を審査すること、
患者から文書による同意を得ることが、この種の研究には求められているらしい。

sabiは、
“世間の人たちは、この報道をどんなふうにとらえているのだろうか?” と思い、
とりあえず、ネット検索できる範囲内で、その反応にざっと目を通してみた。
すると、意外にも、
「そんなささいなことで、こんな大騒ぎになってかわいそう」
「しかるべき手順を踏んでなかっただけのことで、研究内容にウソがなければ、
別にいいんじゃない?」
「データの改ざんとか、もっとひどいのがいくらでもあるのに……」
といった論調の意見が、少なからず見受けられた。
sabiとしては、かなりの驚きである。

中には、
「手続きがものすごく大変で、めんどくさいんだよね」
というような趣旨の書き込みもあった。

確かに、手続きが大変であることは否めないだろう。
労力や手間の問題だけでなく、その手続きに時間がかかればかかるほど、
研究の行程も遅れ、他の研究者に出し抜かれる確率も高くなる。
しかし、だからといって、その手続きをすっ飛ばしていち早く研究成果を発表し、
地位や名声を得るといった行為 (←それが目的でないにしても) が、
正当化されていいのだろうか???

ジャンルを問わず、研究において遵守すべきルールはたくさんある。
たとえば、sabiの研究分野 (教育学) で考えてみても、
“出典は必ず明記する” とか、
“実証研究において、データの改ざんや捏造をしてはならない” とか、
“アンケートやインタビューなどの手法を用いる場合は、事前に掲載許可をとり、
かつ、プライバシーにも十分に配慮する” とか、いろいろ。

データの捏造はともかくとして、
これらの約束事を 「ささいなこと」 と考える人たちも、世の中にはいるのだろう。
しかし、sabiにとっては、
これらを “研究内容” と切り離してとらえるということ自体、考えられない。
仮に、こうしたルールを無視している研究論文があったとして、
「それはいいから、“研究内容” だけを純粋に評価してくれ」 と言われても、
どうにも評価のしようがない、というのが正直なところである。

理系の人の感覚は、sabiにはよくわからなくて、
もしかしたらそのあたりの腑分けに、もっとクールなところがあるのかもしれない、
とも思ったりもする。
しかし、研究が、個人の生活範囲内における趣味としてではなく、
社会的・公共的な営みとして行われる以上、
ルールを逸脱した研究は、もはや研究として認められない。

倫理にもとる行為や、人権侵害につながるようなことが、
平然と行われるような研究界には、絶対になってほしくない。


JUGEMテーマ:学問・学校
| ニュース(大学関係) | 10:03 | comments(80) | trackbacks(4) |
告発
下記は、このブログの過去記事 「研究者の良心って‥‥」 のコメント欄
http://sabi-see.jugem.jp/?eid=90#comments) から、
主として 「被害者N」 さんとのやりとりを抜粋、転載したものである。

さんざん悩んだが、
どうしてもこのような形で、記事としてあげずにはいられない。

根っからの文系人間であるsabiは、
ここに記載されてあることが事実であるかどうか、検証するすべをもたない。
しかし、 「被害者N」 さんの記述に、
(直感的にではあるが) “真実” を感じたことも、また否めない。
だからsabiは、
“だれかに検証してほしい” という思いを、抑えることができないのである。

----------
2006.01.12 Thursday    author : さびしんぼう
研究者の良心って‥‥
コメント

私は研究盗用の被害にあっています。
盗用しているのは、阪大工学部の教授です。もうすぐ名誉教授になるはずの人です。
ある日、友人から朝日新聞の科学欄を見せられ「これは君の仕事だろう」と言われ、びっくり仰天、共同研究していたはずが、まったく無視されて新聞発表してました。調べると、勝手に論文は書くは、やりたい放題。(日刊工業にも2件!)
当方は民間企業の研究者、しかも私の内部プレゼンを聞いて共同研究を持ちかけられてはじめた、オリジナルはまったくこちらにある話です。
なのに、会社は私のほうを抑圧してしまいます。
こんな日本に未来なんか無い。

| 被害者N | 2006/01/22 12:11 PM |


>被害者Nさん

はじめまして、sabiです。
私のブログにご訪問いただき、ありがとうございます。

許せないです。
怒りがこみあげまくっています‥‥。

名誉教授なんて、
表立った問題を起こさずに一定期間勤め上げさえすれば、
どんな人だってなれますよね。
人格がどうであれ、品性がどうであれ。
なにが「名誉」なもんか、と思うことがしばしばです。

私は、正義はあくまでつらぬくべきもの、
悪事は洗いざらい明るみにすべきものだと考えていますが、
会社との間に軋轢があって、Nさんの立場が危うくなるのだとしたら、
事はそんなに単純ではないだろうな、とも思います。
(会社がそういう態度をとること自体、ひどい話ですが。)

しかるべき機関に相談して、
ご自身の立場を守りつつ、不正を暴く手立てを探るというのは
難しいでしょうか。
以下、ご存じかもしれませんが、もしご参考になれば幸いです。
(URLの頭に、hをつけてください。)

◆日本学術会議
「科学における不正行為とその防止について」
「科学におけるミスコンダクトの現状と対策」
ttp://www.scj.go.jp/ja/info/comment/050831-2.html

◆京都第一法律事務所
「自分の研究論文を他人に盗用され、それが学会誌に掲載されて
いました。この場合、どうすればよいでしょうか?」
ttp://www.daiichi.gr.jp/soudan/kenkyuu/10.htm

| さびしんぼう | 2006/01/23 11:19 AM |


さびしんぼう様
情報ありがとうございます。
実際のところ、日本ではなかなか打つ手が無いのが実状ですよ。
実は、この事態になる遠因は、中村修二氏と同様、それより悪質な事件が背景にあります。
私は、11年前にナノ粒子の大量生産法を見つけ、それを用いた製品開発にも成功し(多分、現時点で実際の製品を作ったナノテクはこれぐらいでしょう)日本特許もとり、USPも2件成立させたし、私自身も学卒からいきなり博士号を得るような仕事をしました。40人ほどの会社にしては画期的でした。
ところが、この成功をねたんだ社長から、なんと、解雇されてしまいました。管理職だったので、契約制だったことを悪用されました。
中村さんは、それでも2万円はもらっていたのに、私は高々60万円の退職金で放り出されました。
日本においては、技術者なんて奴隷(農奴)です。
半年失業した後今の会社が拾ってくれたのですが、結局この会社も欲しいのは人ではなく技術のみのようです。結局私が表に出ることを極端に嫌っており、この分野での社外発表はことごとく握りつぶされ、会社プロパーの連中の手柄になっています。結局私の仕事を大学の先生への貢物にしたのが実状でしょう。 当然のごとく私に対するケアは何もありません。(担当をはずされただけですね、もともと私の仕事なのに・・)
 日本なんて、こんなやつらの集まりです。
飯を食わねば生きていけません。家族もいます。残飯でも食い物です。それが実状です。
(助けてくれる、人物たちもたくさんいるのですが、社会の仕組みは悪いやつらが主役ですね)

| 被害者N | 2006/02/09 1:43 AM |


>被害者Nさん

こんにちは、sabiです。

本当にひどい話です。
優秀な才能を持った方が、きちんと評価されないどころか、
こんなひどい仕打ちを受けているなんて‥‥。

これが日本の企業の体質なのでしょうか。

中村修二さんは、日本のエンジニアたちに対して、
「きちんと評価をする企業で、好きな仕事をしてほしい」
「今の勤め先で無理ならば、それができる企業への転職を」
「研究・開発職の人であれば、報奨金の上限を撤廃した企業に行ってほしい」
と述べておられますが、
日本でそんな企業は、きっとごくわずかなのでしょうね。

アメリカに渡るというのは、無理なんですよね‥‥?
資金的な問題でしたら、
仲間の力を借りて世論に訴えて、
「支援する会」のような形でカンパを募るというのも考えられますが、
それもなかなか難しいですよね。

博士号まで持っていらっしゃるのでしたら、
大学や大学院に就職するという手もあるかもしれません。
安月給ですけど‥‥。
大学でも盗用事件はありますが、たぶん企業よりはマシだと思います。
解雇されることも、そうそうありませんし。

すぐれた研究者が、権威をかさに着た人たちに利用されて、
その成果を搾取されるのは、本当に許せないことです。
私は大阪大学に、こっそり密告してやりたい気分です。
でも、それではNさんの立場が悪くなってしまいますよね。

何か方法がないか、また考えてみます。
どうか負けないでください!

| さびしんぼう | 2006/02/09 9:42 AM |


すみません、お久しぶりのコメントです。中村修二さんの問題や何やらは、日本の制度的な問題だと思っています。不正競争防止法が改定(とても、改正とは書けない)されたことをご存知ですか?この件で、経産省の役人が、「もう少し簡単に懲罰できるようにしたかったんだが、もう二度と中村修二のような不埒者を出さないために改定した」と述べるのを聞いています。
日本において、研究者・開発者は会社・組織(独法も当然入ります)を辞めたら、たとえ会社都合でも、基本的に頭の中にある・あったことを含め一切それまでの経験・情報を使う仕事をしたら、懲役に処せられる危険があることはご存知ですか?
重要な発見開発をしたら、その会社・組織の奴隷になるしか生きる道は無くなる、たとえ理不尽な目にあおうと生殺与奪の件は会社が持っているのです。そういう意味では、私は亡命するかお慈悲深い奴隷主を見つけるしか手は無いのかもしれません。

| 被害者N | 2006/05/21 11:25 PM |


>被害者Nさん

こんにちは、sabiです。
不正競争防止法のことは、実は昨日テレビを見ていて知りました。
(なんて情報の遅い私‥‥。)
そのときは、「ああなるほど、知的財産権の保護のために改正されたんだな」
という程度の認識しかなかったのですが、
実は、そういう根の深い問題があったんですね‥‥。

経済産業省の人たちは、
基本的には、日本経済を発展させてくれる研究者を育てたいのでしょうから、
中村修二さんのような人は、
彼らにとっては反逆者ということになるのでしょうね。

頭の中にあることが何も使えないのだとしたら、
研究者は、よその企業に移ることなどとてもできない、
ということになってしまう‥‥。
恐ろしいことです。
結局、「個人」という概念は一切ない、ということですよね。

こんな理不尽なしくみに対して、何かなすすべはないものでしょうか。
なんとも腹立たしくて、しかたありません‥‥。

| さびしんぼう | 2006/05/22 8:38 AM |


はじめまして。bestowです。
阪大の捏造事件について、少しコメントさせてください。

私がいたころの阪大は、自由な雰囲気にあふれ、若手が積極的に議論をするような雰囲気がありました。でも、そのころから、捏造は始まっていたのですね。実は、もっと前からかもしれません。そして、今も続いています。

実は、先週の金曜日に阪大の友人(42歳、助手)が亡くなってしまいました。新聞などの報道では、自殺したことになっています。しかし、ここ1ヶ月だけでも、5人以上の知り合いと酒を飲み、話をしています。この研究室では、10年程前にも事件が起こっています。そのとき、適切に対処していたら、今回の事件は起こらなかったかもしれません。

奥さんと子供を残して、研究室で自殺したとすると、死ぬことによって、彼は何を訴えようとしているのでしょうか。この事件に対して阪大がどのような対処をするかによって、先の捏造事件以上の捏造事件になると思います。

| bestow | 2006/09/06 7:37 PM |


>bestowさん

こんばんは、はじめまして。
sabiこと、さびしんぼうと申します。

コメントをいただき、どうもありがとうございました。
お返事が遅くなりましたことを、お詫びいたします。

この報道のことを、私は知りませんでした。
心よりお悔やみ申し上げます。
本当に、なんと言ったらいいのか‥‥。
42歳、まだまだこれからという時期ですよね。
もし、自殺という報道が真実なのだとしたら、
ご家族を残してのそうした行為は、
よほどのことがあったうえでの“決断”であったのだろうと推察します。

ネットで検索してみたのですが、
大学側は、その方が所属しておられた研究室でのデータ捏造について、
調査委員会を設置して、8月初旬から調査を進めていたようですね。

その方は、捏造を明るみに出すべく何らかのアクションを起こして、
そのために、トップから圧力をかけられていたのでしょうか。
そして、そのことを生前、
お友だちの皆さんに相談しておられたのでしょうか‥‥。

それにしても、こんなことになるまで、
大学側は、何も打つ手がなかったのでしょうか。
悔しいですね。本当に。

10年前の「事件」というのも、気になります。
大切な生命までもが断たれなければならないような問題が、
もし、その研究室の内部に隠蔽されているのだとしたら、
何らかの形で早く明るみに出してほしいと、切に願います。

| さびしんぼう | 2006/09/13 9:57 PM |


阪大の杉*教授の件、なぜ助手の方が殺され(手を下したのが助手本人かどうかを問わず)なければならないのか、おかしな話だと思います。
 さて、私の話ですが、先日エレクトロニクス**学会の11月号の会誌を見て、あまりのことに息を呑みました。
特集があったのですが、5題の総説の中に2題が実際のところ、盗用もしくは剽窃であった点です。阪大グループはとうとう引用文献からすら私の名前を抜きました。私が直接指導した学生は、盗用の成果を持って某・日*製作所の材料研究所に入ったようで目出度い限りです。
 阪大の公開データから見る限り特許も数件出しているようですし、好き勝手なものです。
 しかしまた、恐ろしいのは、その後ろに会社と組んで私を追い出すのに協力を頂いたと思われる公*試の研究員が堂々と書いているではありませんか・・・・
 いつから日本の「研究者(ほんとに彼らが研究者なのかはわかりませんが)」恥を失ったのか・・・
 でも、このような特集を組むエレクトロニクス**学会も学会としてどうなのでしょうか、単なる**なのか抜*ているだけなのか、久しぶりに笑えました。

 日本の、エレクトロニクスが凋落するのも道理です。

| 被害者N | 2006/12/13 1:57 AM |


>被害者Nさん

こんにちは、おひさしぶりです。

これではわが国の将来もお先真っ暗だなぁと、ただただため息です‥‥。
嘆きの言葉しか出てきません‥‥。

私も若い頃、文系の全国学会で事務局幹事をしていましたが、
たとえ事務方であってもそれなりに、
自分たちの学会(&学界)の未来のことを真剣に考え、
運営や議論に一生懸命携わり、参加していました。
いまの若い人たちも、きっとそうだと思います。

現在、悪質な行為を働いている教授たちにしても、
そういう下積み時代を経て、自らの研究能力を培ってきたのでしょうし、
大勢の若い研究者の方たちに、幾度となく助けられてきたからこそ、
彼らの今日があるのだろうと思います。

それにもかかわらず、
そうした未来ある人たちを援助・育成するどころか、
その成果を横取りし、踏みつけにするなど、最低の行為です。
学会は、この種の行為を未然に防ぐという意味での評価機関としては、
もはや機能しないのでしょうか。
権威をかさにきたエセ研究者たちは、もはやチェックの対象から外され、
堂々と盗用行為のできる世の中になっているのでしょうか。
恐ろしい限りです。

しかし、どうか負けないでください。
正義はいつか勝つはずだと、私はやっぱり心のどこかで信じています。
(教育基本法の成立で、かなりダメージを受けてはいますが‥‥。)

| さびしんぼう | 2006/12/16 4:49 PM |


悲しいこと

さびしんぼう様
いつも、愚痴ばかりになり、申しわけありません。
中村修二さんも、日立の米澤さんも、東芝の枡岡さんも多分皆同じ気持ちをお感じではと思いますが、開発者にとって、自分の開発したモノは、「わが子」なのです。
私の悲しい点は、ひとえに「わが子」を取られ、かつ、「わが子」を自分の手で充分に育てることが出来ない悲しみなのです。
私は、中村修二さんは裁判に負けたのだと思います。なぜなら「わが子」を自分の手に取り戻すことは叶わず、その仕事は取り上げられてしまったのですから、金を積まれても悲しさは残っておられると思います。

私にとっての「わが子」は、酷い玩具にされております。

発明者の強みは、「わが子」の隅々を知っていることです。

残念ながら、盗用者達はこの子の表層しか見えておりません。従って、先に示した学会誌の中身は幾つかの点で間違った見解を示しております。

私は、この材料・技術をきちんと成人させたいとの願望は持っていますが、・・多分このまま行けば狂ったまま、この子は死の谷に落ち込んでしまうでしょう。

私の知人の中にも阪大出身の立派な方もおられるのですが、何故か私にとって阪大は鬼門の様です。
先の学会誌の後のほうも阪大出身です。

実際のところ、阪大当局には2度ほど情報は通知したのですが、何の反応もありません。

本間教授の件も考えると、何がしか阪大には構造的な変な土台があるのでしょうか?
私は、大阪市立大学で学位を頂きましたし、大阪の町は好きなのですが、沢山の泥水も飲まされ、結局大阪を離れざるを得なく現在に至っております。

先日、文科省のホームページに研究不正に対しての届け出窓口を設けたとの記事で、その窓口をチェックしましたら、科研費等文科省関係予算にかかわる研究のみであり、かつ、告発が「虚偽」の場合、告発者は訴えられるとの警告付きの窓口でした。・・・何のための窓口なのでしょうね

もし、エレクトロニクス**学会が、少しでも自浄能力があるのならば、RNA学会のように多少の調査を実施してくれたら嬉しいのですが、また、後の方の公*試の研究員が文献としてあげた特許の名前の順番がどうなっているのかぐらいチェックしたら、誰が主発明者なのかすぐにわかります。

すみません、また愚痴になってしまいました。

研究盗用は「わが子」を拉致されるのと同義であることを御理解頂ければ幸いです。

(新教育基本法は、滅私奉公ですか? 個人を殺して集団に奉仕して、・・・経産省の役人が言う通り、私は不埒者なのでしょう)

| 被害者N | 2006/12/22 3:03 AM |


>被害者Nさん

こんにちは、sabiです。

「わが子」に等しいという感情、私も大いに共感いたします。
それが論文であろうと、文学・芸術作品であろうと、農作物であろうと、
創作すること・ものを生み出すことに携わる人たちはみんな、
自らのcreatureに対して、そうした感情を持つことと思います。

ただ、開発・発明という分野に関して私は素人ですから、
もしそれが他人の手によっていいかげんな扱いをされた場合に、
どんな悲惨な結果が待っているのか‥‥
これについては、私が持ち合わせているわずかばかりの知識に基づいて、
想像力を働かせるしかありません。
それが開発者にとってどれほど悔しく、辛いことであるのか。
もしかしたら、そこには、
私の想像の及ばないほどのものがあるのかもしれなくて、
ただただ、心をいためるしかありません。

なぜ、大学当局からは何の反応もないのでしょう?
今後、調査をするつもりがあるのかどうか、
とにかく何らかの対応を考えていく予定があるのかどうか、
速やかに回答する義務があろうかと思います。
確かに、阪大自体に、何か構造的な問題があるのかもしれませんね‥‥。

文科省の窓口の件も、ひどい話ですね。
しかも、自分のところの予算にかかわる研究のみ!?
いかにも文科省らしくて、あきれてしまいます。

例えばうちの大学の、セクハラに関する相談窓口では、
告発者の側には、その事実を証明する義務はありません。
事実かそうでないかを証明するのは、あくまで調査委員会の責務であり、
それが結果として「虚偽」であった場合、
もちろん、(個人的に)訴えられる可能性はゼロではないでしょう。
しかし、はじめからそんな警告が出されていたら、
そんな恐ろしいところには、だれも相談に行かないと思います。
告発する側としては、委員会の調査能力をどこまで信頼してよいのかすら、
皆目わからないでしょうし。

盗用問題も、ある意味パワハラの極致であって、
その「力」に与しない立場の第三者機関が入っていかない限りは、
解決しないのではないでしょうか。
しかし、大学当局も、学会も、文科省もあてにならないというこの状況。
なにか打開策がほしいです‥‥。

| さびしんぼう | 2006/12/26 2:26 PM |


何とか、止めたいのですが

正直なところ、彼らの暴走を止めたいと思い手を考えるのですが良い手がありません。
 彼らのホームページ情報から見ると、2004年以降、立て続けに論文を4報(先のエレクトロニクス**学会誌を入れると5報)プロシーディング11報、総説1件、特許3件も出しており、そのうち私が確認できるものは全て私の業績は無視されております。中には、材料の説明の引用文献は販売もされていない私の論文であったり、自己矛盾しているケースも多いのですが、あまりの多さに事実上この仕事を仕切っている観があります。
 たぶん、このままほおって置くと、取り返しがつかない状況になりつつあります。
 実際この仕事で、彼らはトヨ*自動車や日*製作所やらと共同研究を立ち上げているようで、最早私の業績を回復することは、日々困難になって来ています。

 実は、私の手元には経緯を示すメールのやり取りが明確に残っており、これをたどるだけでも、彼らの不正行為を明らかにすることは容易なのですが(もちろん電子情報なので証拠能力は低いかもしれませんが、他の証拠も合わせればはっきりします)、第一、コンタクト前に私が発明者である、その領域の特許は出願されていますし、基本アイデアがこちらなのは容易に証明できます。

 ですから、なぜ彼らがこのようなリスクを犯すのか、なぜそこまで他人を踏みつけに出来るのか理解できません。

 今日の報道で多比良教授と川崎助手が東大を懲戒解雇されたのを知りました。
 研究の捏造・改ざん・盗用が犯罪であることは共通認識になっていると思っているのですが。

 最後の手段として、私が彼らを止めることは出来ると思いますが、多分それは、ほとんど「刺し違え」の形にならざるを得ないと思います。

 本音では彼らが自主的に修正して欲しいのですが、既に転換不能点を越えてしまっています。
 また、この業績を取り上げられ、いつの間にか社内で開発者の位置づけが社内プロパーに替わっていたり、かつ迫害に似た扱いもあり、どこまで耐えるべきなのか、正直つらいのが実状です。

 このまま行くと、どこかで破滅的な動きをしてしまうかもしれません。

| 被害者N | 2006/12/28 2:01 AM |


>被害者Nさん

こんばんは、sabiです。

まさに、刺し違えることでしか、
この不正を止めることはできないのでしょうか。
だからこそ、その人たちもたかをくくって、
好き放題やっていられるのでしょうか。

しかし、もし仮にこの状況で刺し違えた場合、
これまでに私がお聞かせいただいた範囲で考える限りにおいては、
被害者Nさんが負われることになるであろう傷よりも、
相手方にとっての傷のほうが、より大きいような気がしているのですが。
(というよりも、いまのところ先方は無傷の状態なのでしょうけれど。)

とはいえ、それで被害者Nさんが失職し、
再就職の道も絶たれるような羽目になるのであれば、
やはり、それは最悪の事態ですよね‥‥。

なぜ、そういうことになってしまうのか。
現代のわが国の企業社会とは、しょせんそういうものなのか。
納得いかないものがあります。

すぐれた研究力量があっても、その名前を世に認められない限り、
どうにもならないのでしょうか。
他人を利用するような人たちのしがらみから解き放たれるべく、
周囲のつながりを生かして、あらゆる可能性を探って、
なんとか道がひらけないものでしょうか。

| さびしんぼう | 2006/12/28 10:10 PM |


sabi様

私も、多分彼らにとって破滅的になるだろうことは判ります。理研が表明しているように、盗用は3つの研究不正にカウントされている重要な不正であり、私の持っている情報だけでも充分に彼らの息の根を止められるでしょう。
はじめは、(名誉)教授の暴走ではないか?助教授(現・教授)(元)学生は引きずられたのか?と思い、どこかで、誰かが止めてくれるのではないかとも考えたのですが、・・・
私が、対応策を取れば、多比良教授の研究室の関係者が受けたのと同様、あるいはそれ以上に、特にこの研究で多分博士を取ったであろう(元)学生の一生も傷つくだろうことは十分予想がつきます。
彼が、修士2回生の折、私に「この材料のおかげで研究を続ける意欲が出ました」と言った言葉を忘れられません。

しかしながら、彼の学位論文を私は知りません。

現在、事実上この領域の業績を完全に否定されている私の立場を回復するためには、多分どこかで「宝刀」を抜かなければならないのでしょう、しかも抜いた以上、中途半端では私自身の破滅になるでしょうから、トコトンやるところまで行くしかないでしょう。
なぜ彼らは、私をそこまで追い詰めるのでしょうか

特に、最近の論文等は助教授(現・教授)や元の学生がトップ名で書いているのですから彼らも共同正犯なのでしょう

私の立場がどうなるのかは、まったく見えません。

これまでも、あまり普通の常識的なラインからは外れていますし、研究領域も研究環境も多分想像の埒外でしょう。
正直なところ、まともな研究環境で仕事をしたことはほとんど無くても業績はあげてきたし、社外の人脈も作りあげてきたし、

ですから、私は多分刀を抜くでしょう、しかもあまり綺麗ではない形で始末を付けるしかないとも思っております。

会社がどう出るかは全く判りません。少なくとも公式には処分は出来ないはずですが、嫌がらせはひどいでしょうね

但し、既にその状態にあるとも言えますので、その点では変らないのかもしれません。

本当の気持ちは、こんなことで悩むより、実際の仕事がしたいのですが・・しかし、その仕事をするためにも、現状を看過は出来ません。・・準備が出来たところで年度末を目処として動くことになるでしょう

| 被害者N | 2007/01/06 12:46 AM |


>被害者Nさん

こんにちは、sabiです。

私もあの事件で、川崎助手が懲戒解雇されたことには驚きがありました。
筆頭著者であり、実際にその実験を担当していたとのことですから、
当然といえば当然なのでしょうけれど、
“本当にそれが妥当な処分なのか?”という疑問は残ります。

元助教授の方、元学生の方も、
そういう意味ではやはり同罪になるのかもしれませんが、
その方々は、Nさんに対する加害者であると同時に、
被害者でもある(または、今後そうなりうる)可能性も、
否定できないように思います。

告発することで救われるとも思えませんが、
このままでいることが、その方々にとって幸せだとも思えませんし‥‥。

Nさんが日々悩み続けていらっしゃる現在の状態は、
心身ともに、極限的に辛いことだろうと想像しています。
素晴らしい才能を持った方が、邪悪な人たちやシステムに阻まれて、
前へ進むことを止められているのは、本当に胸の痛むことです。
なんとか現状を打開できるよう、心から願っています。

| さびしんぼう | 2007/01/09 4:46 PM |


sabi様
正直なところ、彼らにそこまでの責任を取らせることに逡巡が無いとは言えません。はじめは、現名誉教授も、きわめて紳士的でしたし、多分、こちらの体制(会社)に、彼らを盗用に誘う要因があったことは間違いないでしょう。ましてや、現教授(前助教授)も、元学生も、紳士的ではありましたから、基本は善人なのでしょう。
多比良教授のケースでも、川崎君が環境に押しつぶされたことは充分に理解できます。だからと言って、多比良教授が全て悪いとも思えません。実際、私は多比良(元か!)教授との面識もあり、少なくとも多比良先生の業績は認められるべきものは思えませんので、現実だけ見れば、全て川崎君の責任であると言えなくも無い点では、ファン教授のケースとは異なるとも思います。
 しかしながら、一昨年の核酸化学シンポジュウムでの多比良先生の対応には、核酸化学の研究者達は皆怒っております。
 話がずれてしまいました。

 彼らには是非本来の研究者の良心に立ち返って、復活してもらいたいとは思いますが・・・・その前に、少なくとも、博士の資格を持つ以上、大人の責任を取る義務があります。

 研究不正は、正さないと、研究そのものが破綻します。
現に、私の盗用においては、発明者である私の目から見て明らかにミスリードされ始めており、使えない技術になってしまうでしょう。小柴先生は、「自分がやらなくても科学現象は誰かが必ずやる」と仰っていましたが、私はそれには同意いたしません。
 実際、多比良教授の件でも、ファン教授の件でも実際に研究発展の重大障害となっていると認識しています。

 多分sabiさんがお感じになっているように、阪大の現教授も元学生君も、このまま研究不正を「当たり前」のこととしてこれからの仕事を進めるならば、次にやることは、また研究不正でしかないと思います。しかも、はじめ、あれだけ誠意的に見えた連中が、実際のところ、現時点では中心でやっています。
 この状況を考えた場合、動かざるを得ないと考えています。

追記:私は材料ベースの研究開発を基礎としています。ユニークなナノ材料を2種類持っており、そのため、材料を使う領域として実装等のIT関連と、核酸化学関連のバイオ領域とに絡んでおります。一見無関係なようですが・・・(もちろん苦労はしますが)

| 被害者N | 2007/01/10 2:13 AM |


済みません、先の記載に、意味不明の箇所を作ってしまいました。
 多比良先生の部分、以下に修正します。

「少なくとも多比良先生の過去の業績は、認められるべきものはあると思います。従って、現実だけ見れば、今回の捏造は全て川崎君の責任であると言えなくも無い点では、ファン教授のケースとは異なるとも思います。」

| 被害者N | 2007/01/10 2:22 AM |


>被害者Nさん

こんばんは、sabiです。

東大の件には、そのような事情があったのですね。
マスコミの報道などで名前が前面に出るのは、
やはり教授ということにならざるをえないのでしょうか。
もちろん、いずれにしろ、
自らの背負っている社会的役割を自覚して、
きちんと責任をとっていただくことが必要であることには、
変わりはなかったとは思いますが‥‥。

研究成果の盗用が、たんにモラル云々の問題というだけでなく、
研究内容そのものを歪ませ、
科学の進む道を後退させてしまうということ。
Nさんとのやりとりをさせていただく中で、それがよくわかりました。
決して、見過ごされるべきことではありません。

Nさんのお仕事、非常に社会的影響の大きい分野でもあり、
業績としても重要であることが、素人の私にも理解できます。
(←真の意味では、理解できてはいないのでしょうが(^^; )
それにしても、ITとバイオとは!
本当に、幅広い領域に携わっていらっしゃるのですね;;;

ぜひともそれらの研究が、
正しい形で、社会的に活用されていくものになれば‥‥ と、思います。

| さびしんぼう | 2007/01/10 7:45 PM |


sabi様、お久しぶりです。
色々と有りました。結局不正は正されてはおりませんが・・

結論から言いますと、会社を辞めました。会社都合ですから、馘首になったわけです。

前職の会社は、ここ数年不祥事続きで、開発方針もハッキリせず、結局私の仕事は無くなりました。無くなると共に、わけの判らない組織への出向命令が来て、全く仕事になりませんでした。
結局、本当に共同研究をしている大学の先生達のアドバイスと尽力で、道を決めましたが、バイオ関連においても基本特許を会社名で取得(米国特許を成立させています)していたため、その対策に悩みましたが、会社側が事実上の退職勧告をしたことを根拠として、スピンアウトするとの名目で特許の譲渡を申し出て、退職金と相殺の形で買い取って出ることが出来ました。
しかしながら、同時に申し出た、ナノテク関連特許は拒否されました。
そんなこんなで、阪大への対策を取れる状況ではなかったのですが・・
実際、一昨日にも阪大の連中は平然とパクリ研究の発表を続けています。
ところが、久しぶりに特許を調べてみると、あるはあるは、前職会社の連中が私からパクッたアイデアを特許として、出すは、出すは、現時点で公開ですから私が在籍していた時点で、勝手に出していたわけです。阪大の連中との連名もありました。
技術泥棒も、会社ぐるみであったことはこれでハッキリしました。
 経済産業省の連中も、さぞ愉快しょう

 正直なところ、ナノ粒子関連はもう見たくもないという気持ちです。

 幸い、現時点はバイオ関連でやっと仕事にはなっていますし、良い先生たちに恵まれている部分は有るのですが・・・

ナノ粒子関連でも良い先生にも会ってはいるのですが・・
何か嫌ですね

| 被害者N | 2008/02/07 1:08 AM |


>被害者Nさん

こんにちは、sabiです。
本当にごぶさたいたしました。
こんなブログですが、ご記憶にとどめていただきありがとうございますm(__)m

そんなことになっていたとは……。
たいへんな日々だったのですね。

あまりにも不条理すぎる結末ではあるものの、
現時点で、実力を十全に発揮できる条件下にいらっしゃるのであれば、
Nさんにとっては、幸せな方向…… といえるのでしょうか。
どうかこれ以上、Nさんの心が疲弊しませんよう、
そして、光り輝く将来あれと、心から願っています。

とんでもない大きな不正。どうして明るみに出ないのかと思います。
一流の企業、大学、研究所とはいえ、その未来に翳りが差しているがゆえに、
盗用などの事件を引き起こす羽目になるのでしょうか。
だとしたら、告発云々にかかわりなく、行く末は見えているのかもしれません。

しかし、やはり悔しいですね。

| さびしんぼう | 2008/02/23 3:04 PM |


sabiさんの復活は、嬉しいですね。

誰かに昔言われました、「Nさんの仕事は、いつも綱の上を渡ってるね」
面白いことに、何とか今は綱は、繋がっています。

ただ、誰かに聞いて貰いたい、と言う気持ちです。
特許制度も無茶苦茶です。発明者でもない人間が、上司であったことを利用して、出願できるのですから
しかも、あからさまにパクッているんですから、
しかも、私が先に出していた特許を取り下げて、自分達の名前で出して、しかも特許庁はそれに登録査定を出すと言う有様、
人間不信になってもしょうがありませんが・・

波乱の多い1年でした。研究実務である実験は殆んど出来ませんでしたが、幸いバイオとナノテクで、依頼を受けて2冊ずつ、本の部分執筆もしましたので、少なくともこの領域での存在は示せたと思います。(いわゆるお高い調査会社本3冊、講*社本1冊)

そうそう、少し心が穏やかになる話が1つ。
バイオのほうで買い取って出た特許が、特許査定がとれました。基本特許になりますので、非常に強い特許です。
多分、この領域で米英以外の国が取った珍しい例でしょう。この特許、既にアメリカ特許、(ついでですが韓国特許)が取れていますから、日・米・韓で成立した特許になりました。

| 被害者N | 2008/03/06 2:03 AM |


技術立国などと騒いでいても、法令と国会審議と、投稿内容に示された、このような行為の可能性と情報操作の実情(マスコミの様様なレベル(御用系の画策もふくむ))を考えれば、正体は見えてくる。
 Nさんとか、先日なくなった助手の人とか、ある特許をとったというくだりがありますが、これでは再検証できにくい。新聞発表の件でも地方版では情報格差ゆえの忘却、情報の正当性への不信感がぬぐえない。
常軌を逸した内容のようですし、正当であると信じるなら、過剰な負担抜きに検証できる糸口を示すべきではないでしょうか。理系の人ならわかるでしょう。
 
| | 2008/05/07 2:19 PM |


社団法人エレクトロニクス実装学会において刊行されている、エレクトロニクス実装学会誌記載の第9巻第7号(通巻第62号)2006年11月
■ 特集/金属ナノ粒子を応用したマイクロファブリケーション 複合型銀ナノ粒子を用いた接合技術
/大阪大学 廣瀬明夫,山口拓人,井出英一,小林紘二郎 528
この特集に引用された彼ら自身の論文の多くに、複合型銀ナノ粒子の説明として私の論文・特許が引用されていながら、当時も現在も私の作った複合型銀ナノ粒子が市販されていないことから見ただけでも充分である。また、2002年に廣瀬明夫が発したメールがあり、そもそも私が発案し、紹介したものであることは充分に証明が付く。なお、私は、この特集の次の論文「金属ナノ粒子および合金ナノ粒子ペーストによる微細回路形成 」 /大阪市立工業研究所 中許昌美 533 
の引用に出てくる:特許3205793 超微粒子及びその製造方法」の主発明者である。

2002年6月17日付けメール
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At 01:16 午後 02/06/17 +0900, Akio Hirose wrote:
**様
大阪大学の廣瀬です。4月の貴社訪問の際には大変お世話になりありがとうございました。
その際にお話のあったAgナノ粒子については、特に興味を持ちました。
当日の議論でもありましたように、エレクトロニクス接合材料(特に高温はんだ代替材料)としての可能性は大きいと考えられます。当研究室では、貴社との共同研究も含めて、可能であればこれに関して基礎的検討を行ってみたいと考えております。開発商品と言うことで困難な点もあるかと存じますが、貴社のご見解をお知らせいただければ幸いです。
*******************************
廣瀬明夫
大阪大学大学院 工学研究科 生産科学専攻
565-0871 吹田市山田丘2−1
TEL
FAX
e-mail *****@mapse.eng.osaka-u.ac.jp
-----------------------------------------

まあ、事実上私の正体を出しているようなものですが、仰るとおり、いささか信じられないレベルの話でもありますので、はっきりさせます。

しかし、正直未だに怖いですよ。
実際、彼らの書いた論文を見れば判りますし、彼らの新聞発表、朝日1件、日刊工業2件もだし、廣瀬明夫のホームページ表紙も、堂々と自慢げに書いていますし、

 実際、どうすればよいのか、未だに迷い続けています。

 コメント送信の手が震えます。

| 被害者N | 2008/07/06 12:38 AM |


>被害者Nさん

こんばんは、sabiです。

夜中にふと目を覚まして、携帯サイトからNさんの投稿を読み、
思わず息を飲みました。

Nさんの勇気に、心から敬意を表します。

この書き込みが、いかに大きなリスクをともなうものであるか、
私も重々承知はしているつもりですが、
正直なところ、胸のすく思いがしています。
(不適切な表現かもしれませんが……。)

5月7日付のコメントを書かれた方、
私からはなんともお返事のしようがなかったのですが、
情報を明示する方向へと、背中を押してくださったのですね。

もし、このページが少しでもNさんのお役に立つのでしたら、
ぜひ使ってやっていただければ、と思います。

| さびしんぼう | 2008/07/06 3:39 AM |


ルビコン川を渡るのは、怖いものです。
間違いなく、これは、彼らに対する告発です。
もし彼らに、名誉と言う言葉があるのならば、反論したらよい。
もし彼らが、裏で手を回して私を潰す為に努力を始めたら、お互い地獄でしょうね。
(これまでの経緯から、これになる可能性は高いですが・・)

主犯は小林紘二郎氏だと確信しています。当時教授でしたし、2005年のナノ学会での発表、同じく2005年の1月の電話と云い、たちが悪すぎます。現在、福井工大教授になっていますね。
廣瀬氏は、多分始めは従犯だったと思いますが、彼が積極的に論文を書くようになってから、私の名前を完全に消しましたし、そもそもそれ以前の迫害を知っていて、やっていることですから、現時点では完全な共犯か主犯でしょう。

井出英一君は、居心地好いですか?確かにあなたは単なる院生だったかもしれませんが、大人の研究者なのですから、事の善悪は知るべきです。日立製作所が経過を知っていれば、会社も共犯になるのですよ。

どんなに、善意で見ても、彼らの行為は、盗用に当たります。

------------------------------------
独立行政法人 理化学研究所の表明
研究不正

 「研究不正」とは、科学研究上の不正行為であり、研究の提案、実行、見直し及び研究結果を報告する場合における、次に掲げる行為をいう。ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は研究不正に含まないものとする。(米国連邦科学技術政策局:研究不正行為に関する連邦政府規律2000.12.6 連邦官報 pp.76260-76264の定義に準じる。)

(1) 捏造(fabrication):データや実験結果を作り上げ、それらを記録または報告すること。
(2) 改ざん(falsification):研究試料・機材・過程に小細工を加えたり、データや研究結果を変えたり省略することにより、研究を正しく行わないこと。
(3) 盗用(plagiarism):他人の考え、作業内容、結果や文章を適切な了承なしに流用すること。


平成17年11月2日

理研科学者会議

科学研究における不正行為とその防止に関する声明
 科学者は、その研究目的が自己の好奇心に基づくものであれ、国策的戦略にのっとったものであれ、できうる限り自律的かつ誠実に研究を遂行する義務を持ち、その研究成果を自らのものとして公表する権利を有している。
 理化学研究所は、わが国随一の自然科学における総合研究機関であり、自然科学の新しい研究分野を開拓するとともに、国民の負託に応じた重要な分野での戦略的研究を遂行し、研究成果の社会への還元に努めている。すなわち、世界に伍して先端的研究を推進するわが国の拠点である。この理化学研究所において、研究者は他の機関にも増して、前述にある研究者としての義務と権利を心して自覚し、諸外国としのぎを削りつつ研究を遂行しなければならない。
 昨今、科学研究において、捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用(Plagiarism)などの非倫理的不正行為が発生しており、理化学研究所もその例外ではなかったことは悲しむべき事である。
 研究における不正行為は、研究者に社会が託した夢と信頼を裏切る行為であり、科学に対する裏切り行為であるとともに、研究者自身の自殺的行為であると極言できる。理化学研究所の研究者一人ひとりが、このような不正行為に陥ることのないよう、厳しく自らを律するとともに、他者にその疑いがある場合に、すみやかに適切な対応をなし、不正行為を未然に防ぐ努力をなすべきである。
 科学研究の不正は科学者に対して社会から託された夢と希望を自ら踏みにじる行為であることを改めて強く認識し、科学をこよなく愛する理化学研究所の研究者として、以下のことを宣言する。


科学の真理を追求するうえで、いつも他を欺くおそれがないよう自らを律する。
他者の不正を決して黙認しない。
指導的立場に立つ研究者は、研究に不正が入り込む余地のないよう日々心を配る。 また、不正のないことを示すための客観的資料・データ等の管理保存を徹底する。
研究論文の著者は、その論文の正しさを客観的にいつでも誰にでも説明する責任がある。

| 被害者N | 2008/07/07 11:41 AM |

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JUGEMテーマ:学問・学校
| ニュース(大学関係) | 09:37 | - | - |
性格の変化? 人格障害?
どうもこのごろ (昨年末あたりから) 、sabiの性格がおかしい。
昨日もそのせいで、だいすとケンカになってしまった。

人の話を最後まで聴かない。
途中でさえぎって、自分の言いたいことをわーっと言ったりする。
しかも生半可な理解で、早とちりをしていることもある。

だいすや、うたごえの親しい仲間に対して、しばしば妙に攻撃的になってしまう。
(だいすからは、 “高みからものを言ってるように聞こえる” というような
意味のことを、指摘された。 ←これも生半可な理解かもしれないけど。)

そんな自分が、イヤでイヤでしかたがない。

「普通にいるじゃん、そういう人!」 と、思われる向きもあるかもしれない。
しかし、いままでのsabiを知ってる人なら、きっと、
「あれ? ヘンだな〜」
って、多少は思ってくれるんじゃないかな…… という気がする。

これまでは、
“人の話をじっくり聴くことができる” というのが、
sabiの (唯一の?) 取り柄だと言われてきたし、そのように自負してもいた。
基本的に、わがままな性格ではあったけれど、
他人に対して高飛車になることはほとんどなく、
どちらかというと、おだやかな人間の部類に属するほうだった (と思う) 。
生来の、自信のなさというか、自己に対して否定的であることから、
他人に対しては、ほとんど常に、遠慮がちな態度で接していたように思う。
仮に、多少の不満を持っていたとしても、言えないことのほうが多かった。

そして、いままでのsabiと大きく異なるところは、
まちがった解釈や、不確かなことを、平気で口にしてしまうという点である。

かつて大学院時代、指導教官の助教授 (当時) から、
「君は、常に “正解” を言わなきゃいけないと思ってるんじゃないの??」
と、指摘されたこともあるくらい、
sabiは、まちがうことに対して極度に臆病な性格だった。
まちがったことを言うくらいだったら、いっそ黙っていたほうがいいと、
研究室で (院の先輩たちに対して) ほとんど口をきかなかったという時期もあった。
何をするにも、慎重すぎるぐらい慎重だった。

それがどうして、こんな性格 (?) になってしまったのだろう……。

だいすが言うには、
「祭典(昨年11月の)が近づいてきて、事務所での仕事に熱が入ってきた頃から、
そういう傾向が出てきたように感じる」 とのこと。
sabiも、それには異論はない。

もうひとつ、だいすの分析。
「sabiが感情をぶつける対象は、主としてうたごえの仲間や集団であって、
比較的、“対等に近い関係” と思ってる相手なのでは?
ゼミの教え子に対しては、そんな接し方はできないし、しないだろう。
また、同僚の先生方に対しても、(躁状態のときは別として?) しないだろう。」

事実だけを見れば、その通りかもしれない。
ただ、sabiの認識としては、
“対等” というものさしとは、ちょっと違う何かがあるようにも感じる。
それがなんなのか、自分の中では混沌としていてよくわからないのだが……。

sabiは、だいすのことを、ずいぶんと誇りに思っている。
だいすのことを軽んじたり、傷つけたりする (とsabiが感じる) 人がいると、
くやしくてたまらないし、
さまざまなシーンで (主としてうたごえの仲間や集団に対して) 、
「ほら、やっぱりだいすがいないとダメじゃん!」 というような、
ちょっと意地悪な気持ちになったりすることもある。
そんな心の内を、ときには激しく、ときにはシニカルに表出・表現してしまうことが、
最近ずいぶん多いよなぁ…… と、感じている。

もともと八方美人的なところがあるsabiは、
これまで、そういう気持ちを表にあらわすことなく、やり過ごしてきたように思う。
特に、双極性障害のこともあって、
“sabiはみんなのお荷物だ!” という意識が常に働いていたため、
なおのこと、
“怒りやくやしさがあっても出してはいけない、抑えなければ!” という方向へと、
自分を持って行ってたのかな? という気もしたりする。

sabiは、双極性障害をわずらって以来、
本業(=大学)以外のことでは、なにごとにも全力投球しないように、
自分をセーブしつづけていた。
うたごえの活動においても、もちろんそう。
そのときは元気いっぱいであっても、
エネルギー切れがいつやってくるかわからない、という不安から、
責任ある役割を引き受けることを、極力避けつづけてきた。

しかし、うたごえ祭典で事務局の仕事をやらざるをえなくなって以来、
ある程度、そこらへんについての自信がついてきたというか、
“やればできるじゃん!” という感触みたいなものが、出てきたように思う。
とりあえず、これに関してだけは最後まで投げ出さずに、
自分の責任をまっとうすることができたのだから。
そしてsabiは、今年から、県のうたごえ協議会の事務局にも入って、
だいすのお手伝いを続けながら、いままでになく積極的に活動している。

もしかしたら、sabiの中のそうした変化が、
これまで抑制してきた黒い部分(?)をあらわにさせることへと、
つながっていったのではないだろうか??

あらためて思い返してみれば、「怒りのコントロール」 の問題については、
長年にわたるsabiの課題として、主治医の先生からもすでに指摘されていた。

このブログにも、ずいぶん前に少しだけ書いたことがあるが、
(2006.08.27 「普通の夢で叫ぶ」
sabiは、夜な夜な “怒り” の夢を見て大声で叫ぶという、
なんとも近所迷惑な症状の持ち主である。
夢の内容は、架空のものであることが多いが、
通常では考えられないほど、かなり激しく怒りを表出しているらしい。
「ふだんの生活の中で、“怒りの感情” を適切に処理できていないことが、
そうした症状となって現われているのでは?」
というのが、主治医の先生の分析である。

sabi的には、むしろ、
過去のトラウマのほうが大きいんじゃないかな、と考えていた。
家族との関係のこと、小・中・高校時代のこと、大学院時代のこと……。
しかし、その過去はsabiの中のどこかで、現在のものとして続いていたのだろう。
さまざまに姿形を変えながら、日常生活のあちこちに身をひそめて。

sabiは、 “現在進行形の怒り” を無意識のうちに、心の奥深くに押し込めていて、
そのことに気づいてなかっただけなのだろうか?
いや、さらに言えば、気づきたくなかった、見たくなかったということか??

最近のsabiの言動を、客観的に振り返ってみると、
ある種の “人格障害” ではないかという疑いも、生じてきてしまったりする。
だいすも、その可能性はゼロではない、と言う。
sabi的には、そうするとかなり困ったことになるので、
できれば否定したいところではあるが、
やはり、可能性としては視野に入れておかなければ…… とも、一応考えている。


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